今年の3月24日に、此処、岩原の大カーブで鉄道写真再開のカットを撮り始めて早9ヶ月。
1974年からのモノクロ35mmのアーカイブも1979年2月まできました。
上越線が今以って大好きです。
春も夏も秋も・・・冬も・・・。
「鉄」復活元年に続く来年はもっと良い風景に出会えますように。 (本当は撮り直しが多かったりして) そして、もちろんいろいろな方との出会いも大切にしてゆきたいと思います。
1979年2月 岩原スキー場前~越後中里。
今年の3月24日に、此処、岩原の大カーブで鉄道写真再開のカットを撮り始めて早9ヶ月。
1974年からのモノクロ35mmのアーカイブも1979年2月まできました。
上越線が今以って大好きです。
春も夏も秋も・・・冬も・・・。
「鉄」復活元年に続く来年はもっと良い風景に出会えますように。 (本当は撮り直しが多かったりして) そして、もちろんいろいろな方との出会いも大切にしてゆきたいと思います。
1979年2月 岩原スキー場前~越後中里。
八王子にて。
どうやっていったのか。何を撮りにいったのか。
ネガの順番からすると、上越線に行った翌週のようだ。その次の週はまた上越線に行っているので
そのあいだの週ということは分かるのだが・・・。
高尾臨のDD51も写っているが、なぜ八王子なのか。まったく思い出せないカットです。
1979年1月 八王子駅。
湧き水の流れ込む田んぼの一角。
それでも雪はやがて根雪になり、すべてを覆い隠す。
来年の春まで田んぼの神様はじっとしその日を待っている。
春を夢見て長い眠りに着くのだろう。
モーターの音は雪にかき消されて、静かに静かに・・・。
2009年12月29日 越後湯沢~石打。
暮れなずむ。
残雪の頃。田植えの頃。緑のじゅうたん、山が蒼く輝く頃。黄金色の頃。
風が吹いていたよ。
田起こしの土のにおいを嗅ぎ、草いきれの炎天下に汗を流し、やがて、枯れた草のにおいは
何度かの冷たい雨に土に返る。
今は、冬の僅かなにおいを、こうして感じている。
起立して、眼を閉じて。
2009年12月28日 上越国際スキー場前~塩沢。
水上機関区。
今ではデゴイチが来ることで公園と相成ってしまった。
機関庫も国鉄ストアもなーんにもなくなってしまった。
水上駅前のトヨタ食堂の頑固親父も今は亡き、跡地は今では草ボウボウ・・・。
「風邪薬」が懐かしい。
そして道の駅のEF16は・・・。
1979年1月 水上機関区。
絵入りヘッドマークになった「とき」。
このカットがまさに初めてで、遠くから見て、なんか色が変だと感じた。
ダイヤや運用には明るかったのだが、当時はその辺の情報は乏しく現場に来るまで分からなかった。
この後の「とき」を近くで確認し緑色であることが分かり、正直複雑な気持ちになった。
本当に似合っているのかなぁ・・・。
・・・車両デザインを含め、当時の国鉄の技術をつぎ込み完成された「こだま型」。
思い込みがあるがゆえ、やっぱり違和感は否めない。
今以って・・・・・。
1979年1月 水上~湯檜曽。
夜行列車帯は踏ん張りどころ。
寒さもピークとなり、眠気から来るだるさも加わり一番きつい時間帯。
この頃の石打駅は終夜ストーブが焚かれていた。
733Mで降りたスキー客が結構な人数いるし、スキー宿からあぶれた客も夜明かししている。
つまり、ストーブのそばに陣取れるかというと、そうでもなかったりする。
オーバーパンツの中に新聞紙を入れ、寒さを凌ぐなんてことも今となっては良い想い出。
今だったら、ヒートテックなんて代物もあるのにね。
1979年1月 石打駅。
ゴハチの牽く荷物列車。
補機は付かない。
小雪の年だったのだろう。線路の上には雪が少ない。
ホームに雪が無いのは除雪しているから。
足元は時間と共にそれでもクラストしてゆく。
長時間停車の中、時々コンプレッサーが動きその音をホームに響かせる。
セコニックの露出計がデータを指し示す。
シャッターダイアルB。
シャッターの上がる音。
さぁ出発信号が青になり、汽笛を吹き、ゆっくりと25‰を登って行く。
1979年1月 石打駅。
石打駅の2階管理事務所に構内撮影許可のお願いと挨拶。併せて今晩と明日の運行情報である駅報をもらいに行く。
石打の駅での撮影はそこから始まる。
高校生如きに職員は丁寧に対応してくれた。
駅では24時間ストーブが焚かれ、4時過ぎに撮影が終わった体を暖めることも出来た。
考えてみると夕方4時ぐらいから撮影をし朝の4時まで、途中一度待合室に少しの時間
戻る以外よくまああの寒さの中撮影していたものだ。
バルブで活躍したセコニックはオーバーホールや部品交換を経て今も現役だ。
EF16たちの連結や発車のホイッスル。
構内列車接近の警報音が今でも耳に木霊する。
セコニックよ君も覚えているだろう。
1979年1月 石打駅。
モロとは「とき」に使われていたグリーン車。
親父と乗ったグリーン車。
長岡から大宮まで法事か何かの帰りに二人で乗った。
「ひろ、グリーン車に乗ったこと無いだろう 乗るか?」
「うん!」
シートの柄は違うし、リクライニングも。足置きだって着いている。
豪華じゃん。
夕方の長岡駅に「とき」が滑り込む。
3月のその頃は日の入りも早い。それでも窓際に座らせてもらい窓の外は間もなく暗くなる。
時々すれ違う列車や駅の灯り。遠くにぼんやり浮かぶ街の灯。
親父は疲れたのか途中からいびきをかき始めた。
「かっこわるいなぁ・・・」
トイレに行くとき親父の脚を跨ぎ通路に出る。
薄暗い蛍光灯の照明のもと、モーター音の響くデッキのトイレの戸をガチャンと開ける。
帰ってくるとやっぱりいびきをかいている。
くたびれたのだろう。顔をのぞき込み、そおっと脚を跨ぎ席に着く。
外は、また漆黒の闇。
親父が亡くなってずいぶん経つ。
今、自分が父親になって、いびきをかく。
息子や娘は、「かっこわるいなぁ」と思っているのかなあ。
あのときの寝顔を忘れないでいてくれるかなぁ。
2009年12月16日 六日町~塩沢。