雪のない越後線。

六日町から久しぶりの越後線へ。

同好の士は埼玉からの S君と六日町のKさん。

S君とは前日とこの日の夜と飲んで温泉につかっての撮影行。Kさんから飲みに来たのか撮影に来たのかとあきれられましたが3人して楽しい夜・・もとい撮影となりました。ありがとうございました。

2019年2月7日   越後線。

こんなところで・・・。

藪をかき分け登ってきた撮影地にはすでに何人かの鉄の方々。

こんなに狭いところに最終的には10本を超える三脚の列。

そこへなんとIさん!。Iさんと会うのは30年ぶりぐらい。その節は色々とお世話になりました。身延の撮影でお会いして帰りに青のTE-71レビンに乗せてもらい帰ってきて、それから上越、飯田、そしてお召しと本当によく同行させていただきました。去年、新潟は来迎寺のNさんとお話ししたときIさんの話も出て懐かしく思っていたので本当に逢えてよかったです。

不躾ながらこれを機会にまたよろしくお願いします。

2019年1月19日   八高線。

荒川を渡り。

何十年ぶりに後輩と鉄!。

俺が中3彼が中1・・・写真部に入ってきた鉄が君だった。

暫く鉄を休んでいた俺だったけど君はずうっと鉄だったもんなぁ、俺の兄貴とつるんで北海道をはじめいろんなところに良く行っていたよねぇ。そんなわけでまったく合わないことは無かったけどこうして約束して二人で鉄するのはほんとに久しぶりで楽しかったよ。

夜は俺んちで飲み会。もうほんとに昔話に花が咲いて最高に楽しかったよ。

上越、身延、飯田、八高そして宮浜・・・・・想い出は尽きない・・・。

ありがとね、そしてまた行こうね!!!。

2019年1月19日   八高線。

懐かしい橋立の鉄橋。

蒸気機関車が走り出して定番撮影地になってしまった此処。

最初に来たのは高校にあがってすぐの頃、長瀞の住んでいた同級生のFX400の後ろにまたがり来たんだっけ。

変わらないなぁ・・・。

2019年1月18日   秩父鉄道。

これは1979年の一コマ・・・。

梨の木沼のこと。

此処から数分の処に高校時代の同級生が住んでいた。そんなに仲が良いわけではなかったが何度かツーリングに出かけたり、八高線撮影の折、顔を出したことがあった。

その彼から当時聞いた話。この梨の木沼で冬になると地元の連中とスケートに興じたと。まぁ本格的なスケートというよりは雪遊びならぬ氷上遊びの類であったようだ。

ここいら辺りに撮影に来るようになって早や40年。道路が新しくなったり山の手入れがされなくなって久しい。この先の旧道はずうっと通行止めのままだし、たまに伐採が入り何かと思えば丸坊主にして太陽光発電のパネルが山を覆う。

それでも此処梨の木沼は当時とあまり変わることなく冬になると水を凍らせている。会わなくなって久しい友よ元気でいるか・・・。

2019年1月11日   八高線。

川の流れは冬の想い出色。

冬枯れの中、汽笛を鳴らしガタゴトと鉄橋を渡ってゆく。

川色はいくらかシルトの混ざるなんとも言えない感じ、丁度明科の三川合流のあたりの犀川のような色をしている。もうひと月もすると其の犀川の解禁だ。DDを見に来て松本の釣友の事を想い出した。尋ねてみようかなぁ久しぶりに・・・。

2019年1月11日   八高線。

水の一文字。

古くは秩父札所への巡礼道の一つでもであった釜伏峠越え旧秩父往還。峡谷沿いの難所を嫌い脇往還的な釜伏山と陣見山に挟まれた峡間に明治末から大正にかけて武甲山の石灰石輸送のため秩父鉄道が敷かれその後国道140号線が敷かれた。線路の後ろのコンクリートの塊は異様な感じさえする。

寛保2年旧暦7月末の大洪水では高台に避難できた人を除きこの付近一帯は人や家も田畑もすべて呑みつくされました。荒川が狭まるその地形故その後昭和になっても幾度となく水害に悩まされた狭間であったのです。

樋口の駅前に小学校があります。国道沿いのグラウンドを隔てる高い金網に「水」の一文字が記されています。現在の磨崖標ともいえるその標の高さが270年前の洪水時のその時の水位を今も伝えています。

峡谷のコンクリートの塊はかの武甲山の山肌を削り今に至ります。時代の流れは不思議な感じがします。

2019年1月9日   秩父鉄道。