2321ㇾ。

列車中央に見えている建物は上尾高校の校舎。

その上尾高校に通っていた友人が言っていた。高校脇に新駅が出来るらしい・・。結局卒業してから暫く経った1988年にすったもんだの末開業となった。駅周辺の開発が進むとこの撮影地も撮れなくなり、今此処へ立つことも許されないような密集した住宅地に変わってしまうとは当時は想像もつかなかった。

1979年6月   高崎線。

初夏の岩原。

田植えが落ち着き風の温度が変わる頃。

今でもこの季節の岩原が大好きだ。

茶色もクリームも赤も緑もオレンジも何にもなくたって・・・岩原のカーブ、その線形は今も昔も変わらない。

眺めているだけで素敵な場所です。・・ネタものがあるときは絶対近寄らないけどね・・・。

1979年6月   上越線。

マルスの想い出。

1986年の冬の旅、帰りの切符の乗車変更をしてもらったのが此処川湯駅。当時はもちろん駅員も常駐していた。

今のパソコンとは違いアナログなマルスをパタパタと小気味よくめくっていたことを懐かしく想う。

小雨降る朝早い駅舎は待合室に電気も燈ることなく唯閑散としていた。

2020年9月17日   釧網本線。

常紋越え。

お恥ずかしながら常紋初撮り。

DD51もキハ82も全然撮ったことがない、何せ初めての訪問。キハ82の「おおとり」や「オホーツク」には何度も乗ったことがあるんだけどね・・・。

生田原からの林道は途中ぬかるんでいたりでライン取りが楽しい林道ラン。有名な146キロポストに着くと何人かの鉄の方々が・・。

「すみません何か来るんですか?」

「貨物来ますよ、もう10分ぐらいしたら来ますよ~」

直前に内地ナンバーの車で現れて情報も何もない自分はたぶん変な目で見られたのだろうなぁ・・・。何はともあれ初めての峠でした。

帰り道、金華へ向かうトンネルの頂上辺りであろう場所で林道脇に車を停める。

タコ部屋労働で亡くなっていった人々に手を合わせ山を下りた。

2020年9月15日   石北本線。

ミヤハマの季節。

名残の夏にミヤハマを想い出した。

宮浜川の土手の道はあの頃と違うコンクリートの狭い流れに変わってしまっていたが、眺める先にはやっぱり列車は通っていた。

今は誰もいない土手の道・・。

あの頃は無かった僅かに茂る木々のほんの少しの陰に身を寄せて列車を見送る。

そうして・・ミヤハマの季節は通り過ぎていくよ・・。

本当はずうっと前から・・・。

ふらりと寄ったミヤハマの空に想いを馳せて・・・。

・・・なるほど想い出すのはゴナナだったりして・・・。

季節は違えどもおんなじ場所でね。

2020年9月4日

1976年3月     東北本線。

きのこクーラーの離合と。

大好きな「とき」。

ダイヤを見るとここいら辺ですれ違うはず。

いまでもかろうじて当時の雑木林の面影が残る区間。今ではだいぶスカスカになってしまったが当時はもっと鬱蒼としていた。すでに午後の遅い時間でないと181同士の離合は無かったように思う。その後何度か通ったがロクな写真は残せなかった。

何せ藪蚊が多くて難儀したよ。

で振り返ると通り過ぎる「とき」後追い。

1979年4月   高崎線。

あの頃は。

数年前に上越線の水上方から115系が無くなる頃、此処の俯瞰が出来る撮影場所から眺めた農家の佇まいは随分と綺麗になってしまっていた。かなり前に建て替えられた母屋のことは知っていたのだが右端に見える土蔵が健在であることをその時に知った。今もあるのだろうか。

1979年5月   上越線。