津久田駅で。

上越線水上方の撮影地と言えば言わずと知れた此処津久田界隈。随分とお世話になりました。

今は蒸気機関車が走ることで俯瞰撮影で有名なようだが当時から東京圏からのアクセスも良くファンには良く知られ棚下に代表される赤城山と利根川の織り成す自然環境は数々の撮影地を提供してくれた。

そんな徒歩鉄にとっての起点となるのが此処津久田駅。その頃上越線の水上方の無人駅と言えば津久田だけだったように記憶している小さな駅だった。

あまり天気が良くなかった日であろうホームに115系各駅停車が滑り込んだ。

これは一番最初に津久田に来た中学2年の時の写真。新潟ローカル70系が高崎まで来ていた頃のもの。この利根川に架かる鉄橋を銀箱と三脚担いで渡ったのだがとにかく怖かったことを覚えている。

1979年2月

1976年9月   上越線。

刈入れの後のミヤハマ。

東大宮~蓮田の景色を原点と想うか?。

小学校高学年の時、兄に連れられ始めて訪ねた。

中学に上がり一人でも撮影に来るようになった。2年生の夏休みには42日間の休みの間38日此処ミヤハマ(東大宮~蓮田)に通った。

ならばやっぱり原点だよね。

1983年11月     東北本線   東大宮~蓮田。

あけぼの。

昨日の台風でサンライズの運休をニュースで聞いた。

夜行列車たったこれだけになってしまったんだ・・・。

遠く九州から山陽や関西も、そして上野に着く東北や北陸からの列車たち。

みんな無くなってしまったんだ。

需要と供給のバランスとは言うけれど供給する側の問題はなかったのだろうか。

分割民営化で自社の利益だけの追及の挙句がそういった列車の存続に影響したのではなかろうか、早く不採算の列車や線区をつぶしたかっただけの話だといわれても仕方がないやり方だったように思う。組合も弱体化し問題提起する間もなく現在に至るような気がする。

しかし、庶民の為の列車が無くなる中であの媚びを売るような豪華列車は生き残れるのだろうか、今は物珍しさとマスコミの宣伝でチヤホヤされているがあの列車のリピート率ってどんなもんなのだろう。インタビューされる乗客は何某の記念にと高額な料金を払うと言う。この先何月までは予約がいっぱいだとこれまたマスコミに煽られ更に高級ボケしたツアーパック式旅行しかできない成金ジジイと厚化粧ババアが卑屈な笑みを浮かべ揉み手して待ち構える地方へと赴く。年金天国の今はいいだろう。もうすぐ年金氷河期がやってきてそんな連中はみんな寿命が尽きて残るのは今でさえ一部の金持ちだけどさらにそんな連中は少なくなっていくだろう。そしてその後残るのはあの頃のジジイとババアはよかったなんて回想するジジイとババアだけの世の中だ。豪華列車に未来はあるのか。

乗りたい列車はありますか・・・。

そう これからも乗りたい列車は走りますか・・・。

東大宮と蓮田の景色の中、あけぼのが行ってしまった・・・。

これからも見たい列車を見れますか・・・。

1983年11月    東北本線   東大宮~蓮田。

ミヤハマの朝。

この年5月の飯田線撮影が終わり、さらに8月のさよなら運転も雨の中追っかけをして

旧型国電の最後を見送った。

 

旧型国電も茶色い機関車も、そして「とき」をはじめとする優美で優雅な特急色も

だんだんとこの頃を境に自分のまわりから消えていった。

それでも遠出をすれば、その後も色々と撮影できたのだろうが

テリトリーを出て撮影しようとは当時からあまり思わなかった。

もっともその頃からロクイチをはじめとする過熱したブームがやってくると興醒めしたのもその要因だったのかも。

 

 

4×5や8×10での風景写真に傾倒しこの頃から少しづつ鉄道写真から遠ざかってゆく。

 

元々、風景主体の鉄道写真が好きな自分だったから違和感はなかった。

 

 

車での移動中もいつもキョロキョロ。ここだと思えば4×5機材を担ぎ車からの往復もいとわず。8×10ともなればジッツオは重たいしレンズもでかいし。

そうして撮影が終わり車を動かし、さっき三脚を立てて乾布をかぶり撮影したかと思えば10分もたたないうちにまた同じことの繰り返し。

でもロケハンの大事さとか勇気を出して車を転回して景色をもう一度見ることとかいろいろと勉強になった。

イメージが湧かないと撮影地に行っても一枚も撮らないなんてことも普通になった。

二十歳過ぎのガキがシュナイダーだのフジノンだのとさらにはエマルジョンにCCフィルター・・・。麹町のクリエイトに顔を出すようにもなった。

今から考えると笑止千万。

 

 

いつかまた鉄道写真が撮りたくなったらその時撮れば良いと言ってくれたひとがいた。

言葉通り二十数年して上越線、八高線、秩父鉄道に戻ってきた。

 

 

今でも土着の撮影者であることを認識している。

 

 

鉄原点 ミヤハマを行くゴハチ。

 

 

1983年11月     東北本線   東大宮~蓮田。

 

 

 

妻沼駅盛況。

沢山の正統派チビッ子カメラマンたち。

服装も素朴で時代を感じる。最近の頭の悪い連中とは比べるのも失礼。

罵声もなくマナーを守り譲り合いながら撮影のファンが当たり前の時代。

 

その中で一人で来ていて不安そうにしていた小学生カメラマンと暫し会話。

埼玉県内だったと思うがひとりで電車を乗り継いで撮影に来たとのこと。

帰りしな車に乗せてあげたら、後日お母さんからお礼の電話と

本人から手紙をもらったっけ。

 

今頃どうしているだろう。

鉄していてくれたら嬉しいな。

 

 

1983年5月    東武妻沼線   妻沼駅。

秩父鉄道石原の駅を出て水戸やに行く途中。

石原駅。「いしわら」と呼んでいたのは地元の奴ら。

駅票の看板もそうだったような気がする。

17号へ抜ける道すがら妻沼線がオーバークロスしていた。

 

 

高校時代、大さんも高さんもライフでアルバイトしていたんだっけね。

懐かしいでしょ!。

 

 

 

1983年5月      東武妻沼線    上熊谷~大幡。

 

 

 

熊谷から妻沼へ。

マンションが建っていた。

あそこの踊り場から妻沼線の写真が撮りたい。

高校通学時の頃に考えていた。

廃線間近になってやっと上がってみた。

 

今で言うイオンのあたりからの熊谷の郊外には通学途中の道筋もそして

高崎線も見える。

懐かしい景色。

 

 

1983年5月     東武妻沼線   上熊谷~大幡。