刈入れの後のミヤハマ。

東大宮~蓮田の景色を原点と想う?。

 

小学校高学年の時、兄に連れられ始めて訪ねた。

中学に上がり2年生の夏休みには42日間の休みの間38日此処ミヤハマ(東大宮~蓮田)に通った。

 

そして変わってしまう景色と変わってしまう車輌達を狭い景色のなかで見送った。

 

 

 

 

 

昔は良かったと言うのが、ただのノスタルジィではない世の中になってきたからこそ今あえてトンチンカだけど言う。

 

 

昔が良かった。

 

 

昔は良かったのではなく昔が良かった。

 

 

いつの時代から過去を否定することが常套となってしまったのか。

たぶん1945年の夏の一日からでは。

戦前の一時代とそれ以前の大正明治と維新の時代さらには江戸時代後期と

それらが一緒くたにされて1945年を境に曖昧にされ、結果すべてがアメリカナイズされて今日に至ったような気がする。

 

もちろん戦前の一時代の愚行を否定するのは当たり前のことではあるが。

それが危うい世の中に来ている。

 

平和ボケ・・・もはや戦後ではない・・・。

その後の時代の政治家はそれでも怖さと痛みがまだあった。

 

今の長州出身のおぼっちゃま総理は痛みが分からないし怖さも知らない。

もし核が飛んでくればアメリカ製のシェルターに真っ先に逃げ込んでしまうのが彼だ。

 

 

庶民は1945年の夏の一日と同じ思いを否応なくまた受けるのだろう。

戦場ではない日常の景色の中死んでゆくのだ。

そして口をつぐみ侵略者に迎合し生きていく道を選ぶのだろう。

 

 

 

 

トンチンカン・・・・・・。

 

 

 

 

大切な景色は何ですか。

眼に浮かぶ景色はありますか。

自分の力で何ができますか。

 

 

 

木を切り田んぼの畔を壊す連中。

駅で罵声をあげる連中。

三脚を置き我が物顔で闊歩する連中。

そして媚びを売り陰で陰湿な目をする輩。

 

 

結局せまい景色のなか自分がいる。

でも言う。

 

昔が良かった。

 

 

むかしがね・・・・・。

 

 

 

 

1983年11月     東北本線   東大宮~蓮田。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あけぼの。

昨日の台風でサンライズの運休をニュースで聞いた。

夜行列車たったこれだけになってしまったんだ・・・。

 

 

遠く九州から山陽や関西も、そして上野に着く東北や北陸からの列車たち。

みんな無くなってしまったんだ。

 

 

需要と供給のバランスとは言うけれど供給する側の問題はなかったのだろうか。

分割民営化で自社の利益だけの追及の挙句がそういった列車の存続に影響したのではなかろうか、早く不採算の列車や線区をつぶしたかっただけの話だといわれても仕方がないやり方だったように思う。組合も弱体化し問題提起する間もなく現在に至るような気がする。

しかし、庶民の為の列車が無くなる中であの媚びを売るような豪華列車は生き残れるのだろうか、今は物珍しさとマスコミの宣伝でチヤホヤされているがあの列車のリピート率ってどんなもんなのだろう。インタビューされる乗客は何某の記念にと高額な料金を払うと言う。この先何月までは予約がいっぱいだとこれまたマスコミに煽られ更に高級ボケしたツアーパック式旅行しかできない成金ジジイと厚化粧ババアが卑屈な笑みを浮かべ揉み手して待ち構える地方へと赴く。年金天国の今はいいだろう。もうすぐ年金氷河期がやってきてそんな連中はみんな寿命が尽きて残るのは今でさえ一部の金持ちだけどさらにそんな連中は少なくなっていくだろう。そしてその後残るのはあの頃のジジイとババアはよかったなんて回想するジジイとババアだけの世の中だ。豪華列車に未来はあるのか。

 

 

乗りたい列車はありますか。

そう これからも乗りたい列車は走りますか。

 

 

そして見たい列車は見れますか。

そう これからも見たい列車は走りますか。

 

 

移り変わる時代の景色の中

ほんの少しで良いから面影を探していつまでも線路を眺めていたい。

 

 

東大宮と蓮田の景色の中、あけぼのが行ってしまった・・・。

佇めば愛おしい想いにかられる・・・。

 

 

 

 

1983年11月    東北本線   東大宮~蓮田。

 

妻沼駅盛況。

沢山の正統派チビッ子カメラマンたち。

服装も素朴で時代を感じる。最近の頭の悪い連中とは比べるのも失礼。

罵声もなくマナーを守り譲り合いながら撮影のファンが当たり前の時代。

 

その中で一人で来ていて不安そうにしていた小学生カメラマンと暫し会話。

埼玉県内だったと思うがひとりで電車を乗り継いで撮影に来たとのこと。

帰りしな車に乗せてあげたら、後日お母さんからお礼の電話と

本人から手紙をもらったっけ。

 

今頃どうしているだろう。

鉄していてくれたら嬉しいな。

 

 

1983年5月    東武妻沼線   妻沼駅。

秩父鉄道石原の駅を出て水戸やに行く途中。

石原駅。「いしわら」と呼んでいたのは地元の奴ら。

駅票の看板もそうだったような気がする。

17号へ抜ける道すがら妻沼線がオーバークロスしていた。

 

 

高校時代、大さんも高さんもライフでアルバイトしていたんだっけね。

懐かしいでしょ!。

 

 

 

1983年5月      東武妻沼線    上熊谷~大幡。

 

 

 

熊谷から妻沼へ。

マンションが建っていた。

あそこの踊り場から妻沼線の写真が撮りたい。

高校通学時の頃に考えていた。

廃線間近になってやっと上がってみた。

 

今で言うイオンのあたりからの熊谷の郊外には通学途中の道筋もそして

高崎線も見える。

懐かしい景色。

 

 

1983年5月     東武妻沼線   上熊谷~大幡。