日鉄羽鶴・1080。

葛生から行きも帰りも歩いた。

 

途中、鉄橋がありレールの真ん中に板が渡してあるだけの・・・。

兄が中学生自分が小学6年生、兄はともかく自分は恐怖でいっぱい。

肝心の走行写真はカメラの裏蓋を開けてしまい大失敗。

 

帰りに葛生の駅前の自動販売機に販売地域限定のため当時埼玉に無かった

ドクターペッパーが売っていたのを覚えている。

但し、飲んだのか飲まなかったのか思い出せない。

 

現役蒸気機関初で最後の撮影。

 

次回はいよいよ東北本線EF57。撮影初期の写真です。

 

1974年5月。日鉄羽鶴。

大宮駅・181系とき。

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大宮駅8番線に滑り込む旧161系のとき。

なんといってもボンネット。クリーム色に朱色じゃなければ特急じゃないでしょう。

 

右側には大宮機関区の車庫や川越線のキハ30系たち。左側に京浜東北の101系。

 

駅撮りし始めた頃。

 

1974年5月。

高麗川駅・キハ17。

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日進から川越線に乗り高麗川へ。

SLがいなくなった広い構内をディーゼル機関車と気動車の撮影。

 

当時、4つ上の兄がすでに鉄道写真を始めており、連れられてきたっていう感じ。

形式や車両の区別がつくわけも無く、ただシャッターを押していた。

カメラはペトリ7だったなぁ。

 

きのう兄貴に電話したら、ちょうど北海道は常紋で撮影中・・・。

もう10分で列車が来るとの事、あっさり電話を切られてしまいました・・・。

 

考えてみると兄貴も40年近く「鉄」してるもんなぁ。

俺より行動力があるし,体力も。

このあいだも「国鉄時代」の2月号に記事と写真が載っていたっけ。

 

昨日のデータが1975年10月。

前後しますが、今後、1974年5月からの写真を順を追って紹介してゆきます。

 

1974年5月。

高麗川駅。

 

http://www.rail-magazine.jp/kokutetsu/new/index.html

国鉄時代 HP。

大宮駅・DCつばさ。

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以前も、ちょっと昔の写真を紹介したことが幾つかありました。

 

不定期ですが年度を追って35mmモノクロ写真を順次紹介してゆきます。

 

断っておきますが、すでにある時期から鉄道写真からは一歩退いております。

理由は幾つかあるのですが、ひとつには、魅力ある車両がなくなってしまったこと。

そして撮影地等を取り巻く環境の変化です。

 

そうは言っても、やっぱり鉄道が好き。

釣りに行っても、山に行っても、途中に線路があればドキドキする。

原点は、「 鉄 」です。

 

 

 

大宮駅に侵入するDC時代の「つばさ」

75年10月。

北へ帰る。

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あの頃は、ただ北を求めていた。

 

故郷へ帰る言い知れぬ思いを抱いた沢山の人々に混じり、

さも、故郷へ帰るがごとく、その雑踏の後ろから北を目指した。

 

目指したといっても、ただあても無く・・・。

 

 

青森の駅は、後ろ髪と前のめりの風が交錯する白い歩廊。

 

 

北の大地は凍れていることだろう。

あぁ・・・。

 

 

 

1983年暮れ。                 青森駅。

田植えの頃に。

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少しだけ胸のつかえが取れた気が・・・。

この写真、1980年6月1日と記録があります。
しかし、撮影そのものの記憶が定かではありません。

最近この近所に仲間が出来て、よく入り浸っていたんですが・・・。

あぁ、なんかモヤモヤした感じはこれだったのかぁ。
結構忘れていることって有るんだなぁ。

心のどこかで感じていたものが、ちょっとだけ見つかった感じでした。

表の景色。

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幼い頃、今は亡き父と、『とき』の車窓から眺めた景色。

暫らくして、車窓の逆から列車を撮影するようになった。

ケーブルの規則正しい運動は眼を右から左。左から右。
その合間に見た景色は、結構覚えていた。

連続運動と一瞬の景色。

今、堰堤と、鉄橋の間には高速道路が走っている。
時代の流れを感じる。

原風景とはいったい。

8月になると父の十七回忌だ。

1977年8月上越線・毛登沢鉄橋の『とき』

季節が過ぎる。

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気が付くと、桜の花の季節。

東京と新潟では分水嶺を境に、桜がグラフの
ピークを移動させる。

秩父の冬枯れも過ぎたようだ。
桜が散ると、一斉に若葉が多い尽くす。

冬が過ぎていく。
何かやり残したことがあるかのように、
寂しいけど冬の日差しを思い出す。

1979年12月16日の秩父。今は無き機関車

土合。

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昭和6年開通の上越線『清水随道』を抜け土合駅に
滑り込む『とき』。

高校生の頃、渋川の高校の先生と知り合い、休みのたびに
誘いを受け電車の写真を撮りに行った。
先生の家に前の晩にお邪魔して、翌日、群馬はもとより、
遠く新潟・長野まで車でしか行けない撮影地へも出かける
ことが出来た。

ビールがうまいと感じたのも、その頃だった。
いろんな意味でおおらかな時代だったように思う。

秋晴れのその日のことを昨日のように思い出す。
1979年10月14日撮影。

石打駅。

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初めて石打のバルブ撮影をしたのは中学2年の夏休み。
その後幾度と無く訪れた思い出深い駅。

ダイヤ改正や合理化、機関車の性能向上で、あの頃のような写真は取れなくなってしまったが
それでも何か事あるごとに駅に寄ってしまう。

この写真は高校2年の時、文化祭の代休で来たときのものだ。
1979年9月24日と記録がある。

列車進入を知らせる独特の警報音が今でも耳に残っている。