いいでざおうだったっけ。

久しぶりの更新です。

またまた1979年の画像から。

天気が良くない日だったことだけは覚えている。実はこの後ある列車を烏山へ追いかけたのだが、イベント列車でつまらないので割愛。

今日の2枚は行きがけの駄賃ともいえるもの。

電化区間を往くDC、長編成に長距離・・。今では考えられません。

こちらは大相撲地方巡業用の仕立て列車。

グリーン車は協会関係者や横綱などの関取上位が鎮座し後ろは・・言わずもがな・・・。

1979年7月。   東北本線。

今日、夜行列車が消える。

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一晩中、水銀灯が消えることの無い構内。

 

幾本もの夜行列車が、真夜中のサミットを越えて行き来した。

 

 

発車のホイッスルそして警戒音。

眼を瞑るとありありと目蓋に映る。そして聞こえる。

 

上越線を越えた夜行列車たちよ、さようなら。

 

 

ひとしきり、ため息をついただけ。

 

 

 

1979年3月             上越線   石打駅。

 

 

雪の無い岩原。

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12月の30日頃ではなかったか。

本当に雪が無い。

 

もっとも年が明けて本格的な雪が降ったのだが、この年は年末年始のスキー場は

雪不足だったように記憶している。

 

グリーンの帯が1両・・。

この頃から帯が消えていったのかな。

それにしても、181といい165といいかっこいいねぇ。

 

 

1979年12月                     岩原スキー場前~越後中里。

 

冬の朝。

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バイクにカメラバックと三脚をくくりつけ、大宮から。

 

日の出の頃、まずは暖気運転をして。

さぁ出発。

手がかじかむ、足の指先も・・・。

オレンジのジェットヘルから出ている顔に当たる風が冷たい。

波久礼から金尾峠を越え長瀞へ。

空気が変わるのはちょうどそのあたり。

 

さぁデキがやってきた。

楽しい一日の予感。

 

 

1979年12月                  長瀞~野上。

 

桑畑の小径。

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秩父の地は、かつてこの桑をとても大切にしていた。

 

蚕のための桑。

夜になるとサワサワと蚕が桑を食む音が一階にいても聞こえてきたそうだ。

 

冬枯れの桑畑のこみち、霜柱が解けていく。

貨物がガッタンガッタン過ぎてゆく。

 

 

1979年12月                 野上~上長瀞。

 

デキたち。

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秩父鉄道で忘れてはいけないのは、デキたち。

 

鉱石列車はもちろん、普通貨物とあわせるとたくさんの列車が走っていた。

旅客と貨物の比率は6対4ぐらいだったのでは。

 

 

デキ4はまだ茶色だったかなぁ。

デキ300はシールドビーム改造前だ。

 

 

1979年12月                 上長瀞~親鼻。

 

長瀞で。

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休日になると東上線経由でこんなのも乗り入れていた。

 

東武や国鉄の車両が入線すると、パンタ昇圧と材質の関係で

架線が痛むようなことを、保線の仕事をする彼の父親が話していたのを

思い出す。

 

彼の両親が亡くなって久しい。

ホンダの研究所に勤める彼は、たまには故郷に帰っているのだろうか。

 

会わなくなって暫らく時間が経つ。

今以って思う。この頃の写真が撮れたのは彼のおかげ。

元気でいるか。

 

 

1979年12月               長瀞駅。

 

熊谷駅で。

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821Mが特急退避でいつものようにポイントを渡り3番線に着く。

上り1番には、ゴハチのオールグリーン。

 

 

カメラ片手の通学の一枚。

 

 

しかし、懐かしいなぁ。

熊谷ってこんな駅だったんだよね。

 

 

1979年12月                   熊谷駅。