秩父鉄道石原の駅を出て水戸やに行く途中。 石原駅。「いしわら」と呼んでいたのは地元の奴ら。 駅票の看板もそうだったような気がする。 17号へ抜ける道すがら妻沼線がオーバークロスしていた。 高校時代、大さんも高さんもライフでアルバイトしていたんだっけね。 懐かしいでしょ!。 1983年5月 東武妻沼線 上熊谷~大幡。
熊谷から妻沼へ。 マンションが建っていた。 あそこの踊り場から妻沼線の写真が撮りたい。 高校通学時の頃に考えていた。 廃線間近になってやっと上がってみた。 今で言うイオンのあたりからの熊谷の郊外には通学途中の道筋もそして 高崎線も見える。 懐かしい景色。 1983年5月 東武妻沼線 上熊谷~大幡。
飯田線旧型国電終焉の年。 1983年の8月が飯田線旧国の引退。 3か月前の5月またまたやってきました。 お気に入りだったこの場所でようやく中央アルプスが綺麗に見えた。 列車が少ししか見えないこの場所、なぜか気になり通った。 河岸段丘の景色の先はいろいろな表情を見せてくれる。 そんな中列車は今も変わらず走っているのだろうけどなかなか行く機会がない。 それに少し遠いし・・・。 またいつか行くことがあるのだろうか、そしたらゆっくりと時間をかけて めぐってみたい。 1983年5月 飯田線 上片桐~伊那田島。
移り変わる風景・・・それでも僕の好きな風景。 想いだしたように何枚かのブロー二の取り込みをしご覧いただきました。 3日も立て続けにDD51を見たからかなぁ・・・。 この写真を撮っているときも自分ひとりでした。 今も昔も変わらずに線路近くに佇む人でありたい。 このイベントが終わるといつもの時間が戻ってくる。 通いなれた場所でも構図を決めるまであっちこっちうろうろする。 三脚を立て乾布をかぶりルーペでピントを合わせる。 セコニックを出して露出を決める。 さぁ来い!。 レリーズはここ一点の一枚切り。 大切な時間僕の好きな風景で。 1986年2月 八高線 竹沢~折原。
サミットもう一つ。 DD51の重連があの頃は当たり前だった。 この日も気が付くとここへ登っていた。 今週に見たDD51。 ディーゼルの唸りと汽笛が懐かしかったのは言うまでもない。 さぁ小さなサミットを登って来い!。 赤い衣装をまとった君は今も美しい。あの頃のように。 1986年2月 八高線 竹沢~折原。
影をついて。 何度か通ってこの一枚。 たくさんのブロー二のスリーブを眺めていると似たようなカットで失敗しているものが多々。 マミヤプレスの6×9では連写はおろか複数切りなんてありえなかった。 通うしかなかった。 現像が上がるまでの数日間。 恋人との待ち合わせのようなときめきと不安・・・。 いろんなプロセスがあって、自分一人で解決できることとそうでないこと・・・。 今だからこそ大事なものがあるような気がする。 1985年1月 八高線 折原~竹沢。
小さなサミットを超えてゆく。 3月の雪景色。 春に向かう儀式のようにここいら辺では南岸低気圧が通ると雪が降る。 たいして積もりもしないが景色に変化を与えてくれて、自分もまた儀式のように通っていた。 木々が伸びもうこの景色も見られない・・・。 1985年3月 八高線 竹沢~折原。
雨の日にも。 前後のコマを見ると脈絡もなくただ立ち寄った2枚の中の一枚。 秩父からの帰り140号を寄居で折れて折原の駅前を通って此処へ。 今でも似たようなことをしている気がする。 しばらく会わない友達はどうしているだろう・・・そんな気持ちで立ち寄るのが此処・・・。 いつも誰もいない線路の傍らに居ることが慣れてしまったんだねぇ・・・。 1985年5月 八高線 竹沢~折原。