
六日町から久しぶりの越後線へ。
同好の士は埼玉からの S君と六日町のKさん。
S君とは前日とこの日の夜と飲んで温泉につかっての撮影行。Kさんから飲みに来たのか撮影に来たのかとあきれられましたが3人して楽しい夜・・もとい撮影となりました。ありがとうございました。
2019年2月7日 越後線。
此処から数分の処に高校時代の同級生が住んでいた。そんなに仲が良いわけではなかったが何度かツーリングに出かけたり、八高線撮影の折、顔を出したことがあった。
その彼から当時聞いた話。この梨の木沼で冬になると地元の連中とスケートに興じたと。まぁ本格的なスケートというよりは雪遊びならぬ氷上遊びの類であったようだ。
ここいら辺りに撮影に来るようになって早や40年。道路が新しくなったり山の手入れがされなくなって久しい。この先の旧道はずうっと通行止めのままだし、たまに伐採が入り何かと思えば丸坊主にして太陽光発電のパネルが山を覆う。
それでも此処梨の木沼は当時とあまり変わることなく冬になると水を凍らせている。会わなくなって久しい友よ元気でいるか・・・。
2019年1月11日 八高線。
古くは秩父札所への巡礼道の一つでもであった釜伏峠越え旧秩父往還。峡谷沿いの難所を嫌い脇往還的な釜伏山と陣見山に挟まれた峡間に明治末から大正にかけて武甲山の石灰石輸送のため秩父鉄道が敷かれその後国道140号線が敷かれた。線路の後ろのコンクリートの塊は異様な感じさえする。
寛保2年旧暦7月末の大洪水では高台に避難できた人を除きこの付近一帯は人や家も田畑もすべて呑みつくされました。荒川が狭まるその地形故その後昭和になっても幾度となく水害に悩まされた狭間であったのです。
樋口の駅前に小学校があります。国道沿いのグラウンドを隔てる高い金網に「水」の一文字が記されています。現在の磨崖標ともいえるその標の高さが270年前の洪水時のその時の水位を今も伝えています。
峡谷のコンクリートの塊はかの武甲山の山肌を削り今に至ります。時代の流れは不思議な感じがします。
2019年1月9日 秩父鉄道。