モロの想い出。

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モロとは「とき」に使われていたグリーン車。

 

親父と乗ったグリーン車。

長岡から大宮まで法事か何かの帰りに二人で乗った。

「ひろ、グリーン車に乗ったこと無いだろう 乗るか?」

「うん!」

シートの柄は違うし、リクライニングも。足置きだって着いている。

豪華じゃん。

 

夕方の長岡駅に「とき」が滑り込む。

3月のその頃は日の入りも早い。それでも窓際に座らせてもらい窓の外は間もなく暗くなる。

時々すれ違う列車や駅の灯り。遠くにぼんやり浮かぶ街の灯。

 

親父は疲れたのか途中からいびきをかき始めた。

「かっこわるいなぁ・・・」

トイレに行くとき親父の脚を跨ぎ通路に出る。

薄暗い蛍光灯の照明のもと、モーター音の響くデッキのトイレの戸をガチャンと開ける。

 

帰ってくるとやっぱりいびきをかいている。

くたびれたのだろう。顔をのぞき込み、そおっと脚を跨ぎ席に着く。

 

外は、また漆黒の闇。

 

 

親父が亡くなってずいぶん経つ。

今、自分が父親になって、いびきをかく。

息子や娘は、「かっこわるいなぁ」と思っているのかなあ。

 

あのときの寝顔を忘れないでいてくれるかなぁ。

 

 

2009年12月16日              六日町~塩沢。

 

「モロの想い出。」への2件のフィードバック

  1. 僕もモロの思い出は、1973年の正月三日。
    帰省客で超満員の上り【とき】に湯沢から雪崩れ込んだスキー客の中に僕はいました。積み残しも出たはずです。祖父がグリーン車の切符を持っていたのとあまりの混雑に車掌長判断で、そのデッキの開放が行われたせいかいつのまにか洋式トイレにちょこんと坐ってました。
    とにかくいつ乗っても混んでいたという印象の【とき】、苦行でしたが今となっては良い思い出です。ちなみにモロに乗ったのは後にも先にもこのときだけです。

  2. コダックさん。
    いつもコメントありがとうございます。
    その後、具合は如何ですか。
    特急や急行の積み残し・・・。
    今の時代では考えられないことですね。
    なんと長閑で悠長な時代だったことかと。
    まぁ「国鉄」だからこそでもあり、また、乗客もみんな紳士淑女だったのでしょう。
    古い流行歌に「ぼろは着てても心は錦」と言う一節がありましたが、まさに、高度経済成長下の誇りを持った時代だったように思います。

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