秋晴れ。

立ち位置はもう少し右に寄り後ろの道路の処理を、更に切り位置はもう少し引き付けてパンタの位置も考えていたら・・。とにかくそんな写真が多くて・・。

背中の栗林からこぼれた栗が撮影している農道に転がっていた。農道の先の踏切がカンカン鳴っていた。秋風が吹くと乾いた稲の匂いが段切りされた泥道の農道に上がってきた。

1978年9月   東北本線。

川井の鉄橋。

駅から青梅街道へ出て多摩川に架かるつり橋からのカット。このときも後輩のS水と電車を乗り継いで撮影に来た。

大宮~南浦和~西国分寺~立川~川井・・乗り換えが大変だった記憶がある。

つい先日そのS水からこのときつり橋で撮った二人の記念写真を見せてもらった。それがこちら・・・。高校1年の俺と中学2年の彼。当たり前だが二人とも若い・・・。

1978年11月   青梅線。

ボンネットにも絵入りヘッドマーク。

このカットが181系「とき」の絵入りの最初のカット。183系などのロールマークに絵入りヘッドマークが導入され始めていたがまさかボンネットにもとは思わなんだ・・・。

このとき一緒に行った友人と先週飲んだけどやっぱり当時の話題に花が咲いたよ。絶対ボンネットは文字だけのヘッドマークが良いよねって・・・。

俺が高校1年彼が中学2年・・・今はおじさん二人の戯言飲み会でね・・・。

1979年1月   上越線。

ゴハチのラストナンバー。

蒲須坂の鉄橋へ。午前中は片岡で撮影して午後からここへ来た。川とガーターが近くに感じて、高さの無い鉄橋というイメージが最初の印象。

どことなく違和感を感じながらの撮影だった記憶がある。

1978年9月   東北本線。

やっぱり「とき」でしょう。

1978年はちょうど高校1年にあがった年。前項の都電荒川線が4月で少し背伸びをしてカメラも新調キャノンAE-1に。そしてモノクロはフジカST-801でスリックプレートの2丁切りが始まったころ。

それでも翌年の暮れにはブローニのマミヤC220がラインナップに加わるから35mmとの2丁切りは割と短かったことが分かる。35mmはその後キャノンEF、ニコンFMとなりブローニと35mmの2丁切りに。そしてその後ブローニはマミヤプレス、フジ6×9、ペンタ6×7が加わる。次第に35mmはどちらかというと2番手的な位置付けになっていった。

前々稿の小海線の写真の時のように山登りなどは35mmだったからそのおかげで撮影した鉄道写真も実は意外なところから見つかったりする。リバーサルのマウントが入ったケースの裏面に撮影日や内容が書いてあるのだがその内容は36枚の主だったものしか書いていないから実は意外なものが写っていたりする。

まだしばらくは35mmのポジがメインの頃が続きます。そんなわけでその中から少しは見られそうなものを少しづつ御笑覧いただければと思います。

1978年7月   高崎線。