やっぱり「とき」でしょう。

1978年はちょうど高校1年にあがった年。前項の都電荒川線が4月で少し背伸びをしてカメラも新調キャノンAE-1に。そしてモノクロはフジカST-801でスリックプレートの2丁切りが始まったころ。

それでも翌年の暮れにはブローニのマミヤC220がラインナップに加わるから35mmとの2丁切りは割と短かったことが分かる。35mmはその後キャノンEF、ニコンFMとなりブローニと35mmの2丁切りに。そしてその後ブローニはマミヤプレス、フジ6×9、ペンタ6×7が加わる。次第に35mmはどちらかというと2番手的な位置付けになっていった。

前々稿の小海線の写真の時のように山登りなどは35mmだったからそのおかげで撮影した鉄道写真も実は意外なところから見つかったりする。リバーサルのマウントが入ったケースの裏面に撮影日や内容が書いてあるのだがその内容は36枚の主だったものしか書いていないから実は意外なものが写っていたりする。

まだしばらくは35mmのポジがメインの頃が続きます。そんなわけでその中から少しは見られそうなものを少しづつ御笑覧いただければと思います。

1978年7月   高崎線。

都電花電車。

出てきました。何を隠そう35mmリバーサルフィルムの一本目。

撮影に行ったこととポジの一番最初は都電だったことはさすがに覚えていたのですが・・。飛鳥山は花電車を見ようとすごい人出だったんですね。沿道の子供たちの服装が懐かしい。あと上の写真の白バイの機種は何だろうマフラーの形状がなんとも古めかしい。今度バイクに詳しい友人に聞いてみよう。

1978年4月   都電荒川線。