アウトカーブで。

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今でも裏の道へ行くときにこの構図を眺めることができる。

今はいかんせんケーブルがうるさすぎ。

ロケーションはほとんど変わってないのに残念だと通り過ぎるたびに思う。

二つ前の記事の俯瞰は右手の山の斜面でした。

1985年3月      八高線   竹沢~折原。

裏の道路ができる前の斜面で。

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正面の山へ登って高尾臨を撮ったのが2年前の1983年、あっという間に木々が成長している。

あの構図はほんと期間限定だったのね。

此処も伐採地でこの構図もそんなには撮れなかったのではと思う。

ケーブルもなくすっきりしていてよかったなぁ。

1985年3月       八高線   折原~竹沢。

おとといの俯瞰はこんな感じ。

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おとといの返しの俯瞰と同じ場所。

おんなじ感想だけど田んぼあるねぇ。

撮影中、鉄砲を持ったハンターが背後から現れたのには驚いた・・クワバラクワバラ・・・。

1985年12月      八高線   折原~竹沢。

伐採地の上で。

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撮影は1983年1月16日とある。

前日が成人式で御多分に漏れず同級生との飲み会。

でも翌日高尾臨の時間に此処へ立っていたんだから若かったよねぇ。

確か渋川の先生ともう一人誰かと一緒だった。

原版の6×6判の手前山の影に3人の姿があるから間違いない。

鉄は自分たち3人だけだった。

1983年1月      八高線   竹沢~折原。

昨日のインカーブ。

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へそ曲がりなので順光ポイントへは行かず日陰でひとり撮影。

ここもまだ田んぼをやっていたんだなぁ。

この日は何名かの鉄を見かけた。

この撮影の後セコニックの露出計を置き忘れたんだっけ・・・。

1982年1月         八高線   竹沢~折原。

そういえば・・・。

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1980年からブローニライブラリのポジをスキャンしていたのになぜか八高線と秩父鉄道が無い。

思い出した、八高線と秩父鉄道だけ別に仕分けしていたんだっけ。

今回のDD51の訓練運転と見比べてみよう。

まずは定番インカーブ。手前の道路もダートだし裏の道もできていないころ。

この日は誰もいなかった。

1981年1月       八高線   竹沢~折原。

八高線にて・・・帰りしなまた兄貴に逢ったし。

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沼から歩いての懐かしいインカーブ。

今は撮れなくなってしまった伐採地からの俯瞰などの思い出の場所。

看板の残骸等で引きが少なくなってしまったが勘弁どころかなぁ。

高尾臨の頃、セコニックの露出計を失くしたところだ。

珍しくバイクに乗った鉄ちゃんがいて、撮影後しばし歓談。

バイクいいよねぇ・・・。自分も昔XLで来たっけ。

そうこうしていると見慣れた車にクラクション。

兄貴またね!。

2017年1月17日         竹沢~折原。

八高線にて・・・気が付いたら兄貴も来ていた。

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後ろの段の上には兄貴やその仲間の方たち。

兄弟、同じところでとらないのが昔からの鉄則。

なので自分は下から24ミリで。

返しももちろん別の場所で・・・。

お疲れ様。

ちなみに昔を想い出して少し絵をいじってありますが・・・。悪しからず。

2017年1月16日        八高線   竹沢~折原。