移り変わる風景・・・それでも僕の好きな風景。

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想いだしたように何枚かのブロー二の取り込みをしご覧いただきました。

3日も立て続けにDD51を見たからかなぁ・・・。

この写真を撮っているときも自分ひとりでした。

今も昔も変わらずに線路近くに佇む人でありたい。

このイベントが終わるといつもの時間が戻ってくる。

通いなれた場所でも構図を決めるまであっちこっちうろうろする。

三脚を立て乾布をかぶりルーペでピントを合わせる。

セコニックを出して露出を決める。

さぁ来い!。

レリーズはここ一点の一枚切り。

大切な時間僕の好きな風景で。

1986年2月      八高線   竹沢~折原。

サミットもう一つ。

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DD51の重連があの頃は当たり前だった。

この日も気が付くとここへ登っていた。

今週に見たDD51。

ディーゼルの唸りと汽笛が懐かしかったのは言うまでもない。

さぁ小さなサミットを登って来い!。

赤い衣装をまとった君は今も美しい。あの頃のように。

1986年2月       八高線   竹沢~折原。

影をついて。

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何度か通ってこの一枚。

たくさんのブロー二のスリーブを眺めていると似たようなカットで失敗しているものが多々。

マミヤプレスの6×9では連写はおろか複数切りなんてありえなかった。

通うしかなかった。

現像が上がるまでの数日間。

恋人との待ち合わせのようなときめきと不安・・・。

いろんなプロセスがあって、自分一人で解決できることとそうでないこと・・・。

今だからこそ大事なものがあるような気がする。

1985年1月       八高線   折原~竹沢。

小さなサミットを超えてゆく。

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3月の雪景色。

春に向かう儀式のようにここいら辺では南岸低気圧が通ると雪が降る。

たいして積もりもしないが景色に変化を与えてくれて、自分もまた儀式のように通っていた。

木々が伸びもうこの景色も見られない・・・。

1985年3月      八高線   竹沢~折原。

雨の日にも。

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前後のコマを見ると脈絡もなくただ立ち寄った2枚の中の一枚。

秩父からの帰り140号を寄居で折れて折原の駅前を通って此処へ。

今でも似たようなことをしている気がする。

しばらく会わない友達はどうしているだろう・・・そんな気持ちで立ち寄るのが此処・・・。

いつも誰もいない線路の傍らに居ることが慣れてしまったんだねぇ・・・。

1985年5月       八高線   竹沢~折原。

田んぼが綺麗だった頃。

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小さな段々の田んぼがあの頃は7枚あった。

年々耕作されなくなり荒れ地となってゆくその過程を見続けた。

それでも此処へ来てしまうのはやっぱり好きだから・・・。

目をつむるとこのころの景色がありありと瞼に浮かぶから・・・。

風に乗った景色の匂いが忘れられないから・・・。

1984年8月     八高線   折原~竹沢。

アウトカーブで。

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今でも裏の道へ行くときにこの構図を眺めることができる。

今はいかんせんケーブルがうるさすぎ。

ロケーションはほとんど変わってないのに残念だと通り過ぎるたびに思う。

二つ前の記事の俯瞰は右手の山の斜面でした。

1985年3月      八高線   竹沢~折原。

裏の道路ができる前の斜面で。

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正面の山へ登って高尾臨を撮ったのが2年前の1983年、あっという間に木々が成長している。

あの構図はほんと期間限定だったのね。

此処も伐採地でこの構図もそんなには撮れなかったのではと思う。

ケーブルもなくすっきりしていてよかったなぁ。

1985年3月       八高線   折原~竹沢。

おとといの俯瞰はこんな感じ。

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おとといの返しの俯瞰と同じ場所。

おんなじ感想だけど田んぼあるねぇ。

撮影中、鉄砲を持ったハンターが背後から現れたのには驚いた・・クワバラクワバラ・・・。

1985年12月      八高線   折原~竹沢。