高尾臨の想い出。

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当時DD51の牽く高尾臨は人気があった。

 

 

雑木林の伐採で立てたこの場所、今は鬱蒼とした森になっている。

 

 

性懲りもなくここいらへん未だにウロウロしている。

 

 

 

1983年1月            八高線   竹沢~折原。

石打の夜。

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やっぱり好きだなぁ。

 

なにもかもが懐かしい。

五感のすべてに訴えてくる。

 

 

今でも、事あるごとに・・・。

 

 

何もない駅前、剥がされた線路・・・。

だけど好きだなぁ、やっぱり好きだなぁ。

 

ふらりと立ち寄ってしまう・・石打駅。

 

 

1980年1月         上越線   石打駅。

朝の松川鉄橋。

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前の夜は石打でバルブ。

 

一番電車で中里へ。

駅からテクテク歩いて・・・。

 

 

松川ループを下りてくる重連のモーター音が山にこだまする。

さぁ来た。

レリーズを握る手に思わず力が入る。

 

見送ると貨物のジョイント音がレフレインのように耳に伝わり心地よい。

 

良い一日の予感。

さぁ今日も一日頑張ろう。

 

 

 

1979年3月         上越線   越後中里~土樽。

 

 

蒼い夜。

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スキー客が帰ったゲレンデ、もうすぐナイター照明も切れる。

そんなアナウンスがカウントダウンに聞こえる。

 

心の中に暖かいものはあっても、あえて蒼いオオカミのような眼をしている自分がいる。

独りは寂しいけど楽しいことも知っている。

 

 

 

メロディを口ずさむ・・・。

 

寒いね寒いね

こんな夜は

心細さがガタガタ震え

 

すきま風が

心吹き抜ける前に

眠ってしまおう

こんな夜は・・・・・・。

 

 

2010年1月          上越線   岩原スキー場前~越後中里。

 

岩原の季節。

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マミヤC220がこのころの主力でした。

レンズは65mm・80mm.・105mm.・180mm.と持っていたがこの写真は105mm.だったと思う。

 

2眼レフにしてはレンズ交換が出来る楽しいカメラだった。

しかし、下の写真のような環境では、ウエストレベルのファインダーに雪が入りルーペを出すのも

一苦労な状況でした。

電池をまったく使わないカメラなので多少濡れようが全然平気なのが唯一の救いでしょうか。

 

今、湯沢からインターを出て17号を左折して上越線を跨ぎ坂を下りてゆくとセブンがあり

さらにそこを左折すると上越線を跨ぐ跨線橋がありますが、昔はそこは踏切でした。

 

踏切から線路伝いに歩いてゆくと此処へたどり着きますが、夏なら5分のところも

雪の季節には新雪のラッセルなら40分もかかったものです。

現に、この「いなほ」の写真の時は、腰まで埋まる雪で難儀したのを覚えています。

 

 

それにしても信号機が雪国仕様というのがよくわかる写真です。

 

 

 

1980年9月 

1980年12月      上越線  岩原スキー場前~越後湯沢。

 

 

青稲の妻沼。

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風が吹く。

心地よい風が青稲の海にさざ波を起こす。

 

タイフォンを鳴らし一両きりのディーゼルカーは軽やかなジョイント音を奏で、

滑るように流れてゆく。

 

かつて、熊谷から小泉まで中島飛行機等の物資運搬用に計画され、利根川に橋脚の足場を残し

終戦を迎え、結局妻沼までの盲腸線になってしまった。

 

その後、何度かまことしやかに線路復活の話題が地元新聞に載ったが実現することなく今に至る。

 

 

熊谷駅で秩父線のホームに居候して片道10キロちょっとの行ったり来たり。

妻沼では利根川の土手に阻まれ・・・。

それでもディーゼルエンジンの匂いが小さい旅の旅情をそそる。

 

 

 

そういえば、当時妻沼から通う高校の友達から聞いた話。

大水のあと何かのはずみで突然利根川に大きな水柱が上がることがあるって。

戦時中の米軍の不発弾が今でもあって、そんなタイミングで爆発することがあるそうな。

 

 

 

南海の青い海青い空、艦砲射撃の残り煙の黑やグレーが残像になる。

あんな綺麗なところで戦争したんだ。

後から来たものは解釈が先に立つからね。

 

平和な青稲の海でいなけりゃ。

 

 

 

 

 

1981年8月       東武妻沼線    大幡~妻沼。

 

 

飯田線南部の景色。

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前の日の夕方に河原に下りて野宿しようと思ったら車をスタックさせてしまった。

脱出するのに小一時間もかかってしまった。

それでも農協ご飯にレトルトカレーとカップラーメン、おなかいっぱいだぁ。

 

翌日も快晴。

この後、東城~野田城の有名撮影地で流電を撮り豊川に出る。

なんと初めて東名高速に乗り帰路に着く。

浜名湖のサービスエリアで少し遅い昼食を食べる。久しぶりの外食。

隣のネクタイを締めた紳士風のおじさんがきれいにフォークの背にご飯を乗せて食べるのを見て妙に感心してしまった。

 

 

ちなみに撮影地まったくわかりません。

 

 

1981年8月     飯田線    南部のどこか。

中部天竜駅の朝。

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前の晩は駅前の外れで野宿。

町の祭りがあったらしく、地元の若者に冷やかされた。

「こんなところで寝てるよ・・・。」

ただ何もトラブルがあるわけではなく逆に応援されたりして。

 

昨日途中に佐久間ダムの脇を通ってきた。

でっかいダムだった。

学校の教科書で黒四と奥只見と並ぶ3大ダムと教わったがすごいスケールだった。

 

 

1981年8月         飯田線   中部天竜駅。

田切の大カーブ。

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河岸段丘の田切地形。

駅の名前通りの地形だ。

関東ではお目にかかれない。

 

中小地方鉄道が発祥の鉄道路線、橋脚やトンネルはギリギリ回避し最小限にした路盤。

なるほど納得。

 

マミヤのC220ポジと35ミリモノクロの二丁切り。

中央アルプスがきれいだ。

 

 

1981年8月     飯田線   伊那福岡~田切。