EF57・宮浜・6101レとフジカST801。

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夏休みも終わりに近づいてきた。

定番ポイントを行くゴナナ。

 

この頃のラインナップは、フジカST801・50mmと135mm。

 

クリーニングペーパーとシリコンクロスそれにプロアは欠かせない。

撮影から帰るとすぐに掃除をして、レンズも、ボディもいつもピカピカだった。

 

しかしその後の下取りの繰り返しで当時の機材はほとんど残っていない・・・。

 

でも・・・・・。

 

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あるんだなこれが!

先日中古ショップで手に入れた801。

当時の姿そのままに、完全稼動品。

ダイオードも光るし、レンズもバッチリ。

だってEBCフジノンだもの。

銀塩カメラ、捨てたものじゃないねぇ。

当時の記憶が甦る。

 

さぁきれいにしなくっちゃ。

 

1976年8月  東大宮~蓮田

2009年6月  自宅(フジカST801)

 

EF57・宮浜・8404レ・PM定番ポイントで。

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定番135mm。

蓮田駅先のカーブでチラリと頭が見える。警戒色じゃない。ゴナナだ!。

遠く蓮田駅からの直線、茶色い車体がやって来る。

 

・・さぁユサユサと車体を揺らし135ミリの画角に入って来た。

モードラなんてもってのほか・・ってゆうかそんなもの無い時代。一発勝負。

 

決まったか?。

 

 

左耳から右耳へとたくさんの車輪の音が駆け抜けてゆく。

 

 

1976年8月  東大宮~蓮田。

 

はくたか・離合。

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70系の窓から。

 

塩沢あたりだろうか、当然、非冷房の窓は開けっぱなしだ。

赤とクリームが迫ってくる。あっとゆうまに風がクロスする。

 

 列車の中を行ったり来たり、景色を眺めたり兄貴と話をしたりとあっという間に国境を越える。

そして渋川を過ぎると、まさに関東平野を感じる。

まもなく武蔵野の畑や雑木林が眼に入ってくる。

 

 

残り少ない夏休み、ゴナナが待っている。

 

暫らくの間上越線よさようなら。そして、またね。

 

1976年8月  上越線。

 

毛渡沢・夏の日。

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あの夏の日の日差しを覚えている。

ことさら此処「毛渡沢」の。

 

その後の変化が自然であれ、人工物であれ、それはどちらも甘んじて享受しよう。

だからこそ、僕らの時代の夏の日の想い出は今も続いている。

 

肯定からだけでは何も生まれない。否定からでしか生まれないものもある。

しかしそれは、否定し続けることでは決して無い。

 

だから毛渡沢に居た夏の日を忘れない。

 

1976年8月  越後中里~土樽。

 

越後湯沢のロープウェーに乗って。

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湯沢駅の石打側数百メートルを見下ろす。

新幹線はないし、家並みも長閑なものだ。

 

 

晩年まで小説「雪国」に筆を入れつづけた。

「高半」改修の年に自ら命を絶ったその作家はその後の変貌をあの世からどう見ているのだろうか。

 

天の川を天空から見下ろしその下にある今の越後湯沢の街を見ているのだろう。

「ほぅ、ずいぶんと立派になったねぇ」

 

1976年8月  越後湯沢~石打。

 

EF16+EF58・石打駅・夜行列車。

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石打駅のバルブ。

順に北陸 天の川 能登 鳥海。

 

まだブームになる前の、とある夏の夜。

天の川、能登、鳥海が10系寝台と雑客の頃。

 

単体露出計も無く、ほとんど感で露光時間を決めていたのではなかったか。

現像から上がり、写っていてうれしかった。

まぁ撮ったというより撮れたというのが正しかった。

なにせ初めてのシャッターダイヤルBの長時間露光だから。

 

すべてのきっかけは兄貴。一緒にいてくれてありがとう。

 

その後幾度と無く通った石打駅。

今でも相変わらず駅前で野宿する事もある。

出発を合図するホイッスルが脳裏にこだまする。

 

 

 

バルブといえば断固石打!!!。

 

1976年8月  石打駅。

 

長岡駅・181系とき。

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先頭は181-105、最後尾は181-43ではなかろうか。

105番の白縁ヘッドライトがかっこいい。

161系オリジナルの面影を残す40番台は「とき」の象徴でもあった。

 

161系は151譲りのロングスカート、横長タイフォンとは違って、さしずめミニスカートのお転婆娘

と言ったところか。

じゃあ100番台は・・・そうねぇ、少女のあどけなさを残す若い娘ってところかな。

あっ151系は、もちろん不良娘(ロングスカート=不良)???古いっ・・・。

 

 

特別急行「とき」が上野に向けて旅立ってゆく。

 

 

1976年8月  長岡駅。

 

岩原・俯瞰。

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岩原の大カーブを行く5789レ。

 

思えばこの春、「鉄」復活の最初に訪れたのがこの下の大カーブ外側だった。

 

田んぼに水が入ったし、「どこか良い処ないかなぁ」・・・あぁそういえば・・・。

この場所は、おととし山の写真を撮りに来たときに見つけた。

そのときは「あぁカーブが見えるんだ」ぐらいにしか思っていなかった。

 

作画に取り組み、色々と見回すと此処は沢山の構図が出来る。

通わなければ・・いや通おう!。

 

2009年6月1日  岩原スキー場前~越後湯沢。

 

長岡駅・EF81きたぐに。

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長岡駅。

 

列車はEF81の牽く急行「きたぐに」。

関西圏から北陸越後に向かう夜行列車。

「きたぐに」・・・まさに北国へ向かう列車なのだろう。

 

未だ583系で急行として存続する現役急行列車だ。

この春にも大阪からお世話になった。

電車3段の下段だったけど・・・。

 

急行~新特急~特急・・・・・。

眉唾の特急が行き来する昨今。

正統派急行列車 「きたぐに」。

 

 

10系寝台を従えて、グリーン車も併結した「きたぐに」が長岡駅に着いた。

となりには、新潟ローカル70系。

新幹線の高架が忍び寄って来た頃。

雨は上がったか。

特急たちが来るのにはもう少し時間がかかるようだ。

駅そばでも食べに行こうか。

 

1976年8月  長岡駅。

 

岩原にて、薫風香る。

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485系「せせらぎ」。

こんな車両が在ったんだ。

暫らく鉄からご無沙汰してたら、「ジョイフルトレイン」って言うのが全国各地に結構有るらしい。

 

まぁ元をたどせば485.

まさかこんな姿になろうとは思っても見なかったであろう。

外観そのままで、内装だけ変えるんじゃインパクトが無いからね・・・。

 

国鉄特急色のデザインは何といっても秀逸だ。当時の設計者が心血注いで出来たものだもの。

無理繰り塗色デザインを変えただけのアンチョコ改造だったら、こちらの方がしっくり来るでしょう。

 

 

昨日今日はいっぱい山に登ったなぁ(鉄でね)。

それはまたの機会に。

 

2009年6月2日。  岩原スキー場前~越後中里。