石打駅のバルブ。
順に北陸 天の川 能登 鳥海。
まだブームになる前の、とある夏の夜。
天の川、能登、鳥海が10系寝台と雑客の頃。
単体露出計も無く、ほとんど感で露光時間を決めていたのではなかったか。
現像から上がり、写っていてうれしかった。
まぁ撮ったというより撮れたというのが正しかった。
なにせ初めてのシャッターダイヤルBの長時間露光だから。
すべてのきっかけは兄貴。一緒にいてくれてありがとう。
その後幾度と無く通った石打駅。
今でも相変わらず駅前で野宿する事もある。
出発を合図するホイッスルが脳裏にこだまする。
バルブといえば断固石打!!!。
1976年8月 石打駅。
機関車で賑わっていた頃の石打駅、行ってみたいです。
今では叶わないことですが。
EF15・16・58は、僕が中学生になる前に上越線を
去っていきました。ロクヨン1000番台が稼働し始めた
からです。それでもしばらくは石打では補機の連結・解放を
行っていたものの、合理化により取りやめに。その分、重連の
運用範囲が高崎-新潟に広がりました。そのロクヨン1000
番台も、EH200が増備されると上越線貨物から撤退します。
ほくほく線が開通してからは、代走で489系が入る時を
狙って石打へバルブしました。静かな夜にボンネットが佇む
姿はとても良い雰囲気でした。
現在の石打駅は今春のCTC導入に伴い、上下本線と最小限の
側線だけになり、かつての賑わいを知る方々には淋しい
姿になっております。
三男坊さん。
土樽だけかと思いきや、石打も本線だけになってしまいました。
一抹の寂しさは拭いきれません。
64+15や64+64も結構バルブしました。
構内の照明が変わり光の回り方が悪くなったのを覚えています。
沢山の上越線カットをこれからも大切にしたいですね。