EF16+EF58・石打駅・夜行列車。

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石打駅のバルブ。

順に北陸 天の川 能登 鳥海。

 

まだブームになる前の、とある夏の夜。

天の川、能登、鳥海が10系寝台と雑客の頃。

 

単体露出計も無く、ほとんど感で露光時間を決めていたのではなかったか。

現像から上がり、写っていてうれしかった。

まぁ撮ったというより撮れたというのが正しかった。

なにせ初めてのシャッターダイヤルBの長時間露光だから。

 

すべてのきっかけは兄貴。一緒にいてくれてありがとう。

 

その後幾度と無く通った石打駅。

今でも相変わらず駅前で野宿する事もある。

出発を合図するホイッスルが脳裏にこだまする。

 

 

 

バルブといえば断固石打!!!。

 

1976年8月  石打駅。

 

「EF16+EF58・石打駅・夜行列車。」への2件のフィードバック

  1. 機関車で賑わっていた頃の石打駅、行ってみたいです。
    今では叶わないことですが。
    EF15・16・58は、僕が中学生になる前に上越線を
    去っていきました。ロクヨン1000番台が稼働し始めた
    からです。それでもしばらくは石打では補機の連結・解放を
    行っていたものの、合理化により取りやめに。その分、重連の
    運用範囲が高崎-新潟に広がりました。そのロクヨン1000
    番台も、EH200が増備されると上越線貨物から撤退します。
    ほくほく線が開通してからは、代走で489系が入る時を
    狙って石打へバルブしました。静かな夜にボンネットが佇む
    姿はとても良い雰囲気でした。
    現在の石打駅は今春のCTC導入に伴い、上下本線と最小限の
    側線だけになり、かつての賑わいを知る方々には淋しい
    姿になっております。

  2. 三男坊さん。
    土樽だけかと思いきや、石打も本線だけになってしまいました。
    一抹の寂しさは拭いきれません。
    64+15や64+64も結構バルブしました。
    構内の照明が変わり光の回り方が悪くなったのを覚えています。
    沢山の上越線カットをこれからも大切にしたいですね。

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