集落にある小駅から朝の一番列車が下ってくる。その小さな歩廊は此処からは見えない。ただ山陰から発車の汽笛がこだまする。
遠く耳をすませば鳥たちのさえずりと共にレールを渡るかすかな響きまでもこだまして。
今日は暑くなりそうだ・・。
2020年6月10日 只見線。
集落にある小駅から朝の一番列車が下ってくる。その小さな歩廊は此処からは見えない。ただ山陰から発車の汽笛がこだまする。
遠く耳をすませば鳥たちのさえずりと共にレールを渡るかすかな響きまでもこだまして。
今日は暑くなりそうだ・・。
2020年6月10日 只見線。
駒ヶ岳へ登ったのは何年前だったか、枝折峠から頂上へ帰りは途中銀の道から銀山平へ、定宿だった村杉に着いた時のビールがなんとうまかったことか。
中ノ岳へは十字峡から丹後山経由での計画が途中で頓挫し結局登れずじまい、まさに遥かなる山のままだ。
俯瞰撮影で魚沼の地を訪れるとついついそれら峰々を眼で追ってしまうのはそこに色々な想い出があるからなのだろう・・・。
田植えが済んだ魚沼の地。風に乗ってタイフォンの一声が此処まで聞こえてきた。そして山の呼び声も・・・。
2020年6月9日 只見線。
いくつもの集落を縫うようにしてやがて山間地へと向かう気動車。
西日が傾く頃それぞれの家では夕餉の支度か・・・。
「ほれ・・列車が行ったすけそろそろまんまの支度だこって・・・」そんな会話が交わされてるいるのかも。
家路に急ぐ人々を乗せるキハを見送り。
2020年6月9日 只見線。
朝の快速を待つ日本海。着いた頃は海の色もイマイチだったが時間と共に空の青を反射し蒼色になってゆく。
そこへあずきときいろが駆けてゆく。
2020年6月9日 信越本線。
かろうじて機関車とコンテナ・・・。
「とき」の12連が欲しい・・・。
終ぞ行くことが叶わなかったエキスパートのみに許されたジャンクションピークから巻機山への稜線を望み。
2020年6月8日 上越線。
手前のカーブはこの先S字になるのだが昔よく撮影に行ったことが想い出される。
当時はこんな俯瞰で眺めようとは思いもつかなかった。
もっともそのS字だが今では道路が出来てしまい撮ることは出来なくなってしまったが・・・。
2020年6月8日 上越線。
何処に撮影に行こうか・関越を走りながらあれこれ思案する。大好きな魚沼に行くのは決まっているのだけど・・・。
トンネルをくぐるとまるであの時のような抜けの良い夕方・・。
・・で登ってきたのは此処。
標高が1000メーターを超える場所で列車を待っている間に段々と気温が下がり始め心地良かった風はいつしか半袖では寒くなってきた。
最後の列車を撮影し終わり改めて眺めると岩原の大カーブの上には国境稜線・・・カメラを片付けて峰々を眼で追う。平標から仙ノ倉、万太郎、オキの耳、茂倉、武能、七つ小屋まで。どれもこれも懐かしい山々。
立止まり煙草を燻らせひとしきりそれら山々の山行を想い出しながら山道を降りた。
2010年6月8日 上越線。
ループを抜けて駆け下る。
カメラはペンタ6×7の300mm。ガタガタ道の林道を上がり途中のカーブの法面に上がっての写真。前日は岩原あたりをウロウロし帰りしなに寄った一枚。今は木々が伸びて見えないであろうこの場所。昔は見えたんだけどね~っていう場所・・当たり前か。そりゃ時間が経てばもう撮れなくなってしまったなんて場所はざらだよね。
いわゆるお立ち台と言われる場所ですら時間の経過とともに過去のものになる訳で・・。撮らせていただいていることを忘れ地元の人とトラブルになる輩が出る昨今。そうなると興醒めして撮影に行きたくなくなるのは今も昔も同じで・・。どうしてこんな風になってしまったんだか。
誰もいない山道の途上でお茶を飲みながらゆっくりと煙草をふかし独り景色を眺める・・。構図を決めそしてダイヤグラムと時計を覗く。ピントを再度確認そして露出計のデータももう一度・・さぁループを出てきたぞ・・よしっ!。
楽しいんだけどね独りでいても・・・。わかるかなぁ~わかんねぇだろうな・・・。
1982年 ちょうど38年前の今日6月6日。 上越線。
横軽は熊ノ平の続きです。
トンネルの中からモーター音と共に列車が飛び出してくる。ロクサンの力強いモーター音と共に・・。今は旧線が遊歩道となり横川から此処熊ノ平まで来れるそうだ。18号線からも階段を上ると来られるみたい。しかし突っ込みトンネルが閉鎖されてからは一度も行っていない。
189も169も来ないもちろんロクサンも・・・。
1979年4月 信越本線。
キハの赤が銅色になる頃。冬の短い陽はもうすぐ暮れようとしている。
列車を待つあいだ手袋をした片方の手を取り煙草に火をつける。
段々と畝の轍と落葉松の影が交差する。
ペンタ6×7105mm。
1985年1月 広尾線。