珍しい場所。

上越線の撮影地の中でも渋川の鉄橋は今でも有名撮影地なのだが上の写真の構図はこの時を入れてもほんの数枚。下の沼田の鉄橋に至ってはこの時だけだったようだ。

そうかと思えば通い詰めるところもあったりで・・。

1979年2月

1979年4月 いづれも上越線。

二度と逢えない人へ。

その年の暮れ会社を辞めた。

何処へ行こう風が吹く・・・山頭火の詩ではないけれど目指したのは北の大地。

二十歳の冬だった。

斜里のユースで逢った君は自分と同じ独り旅。

帰りのキハの座席で君が持ってきたウォークマン・・。片耳ずつひとつのイヤホンを並んで聞いたあのメロディは今も忘れない。

どうしているのか・・生きていてくれ・・・。

突然亡くなってしまった身近な人を最近感じた自分が今まさに生きていることが当たり前ではないことを想うと自分自身なんだか不思議な感じもしたりして・・。

この歳になれば年上は当たり前、自分の年齢も含めて後の時間はたかが知れているかもしれない・・。

だから間違っても自分より若い死は切ない・・・。

さっきテレビを見ている女房と娘の横顔をちらっと見た。笑っているふたり・・・。

いつまでも元気でいてくれと願った。

まったく勝手な馬鹿親父である自分。今独りキーボードを叩いている。

その昔、あの北の大地の駅で見送ったキハが遠ざかり・遠ざかり・・遠ざかり・・・。

「あ~あ~夜よ泣かないで・・・」

1983年12月    北海道。

春はあけぼの。

前日の夜に宇都宮駅に入り下り夜行を撮影した後、いよいよ本番の上り夜行列車たちの撮影。眠い目をこすりながら新星から始まる夜行列車群。津軽を始めしんがりは「あけぼの」。

次々と上る列車たちの先頭はゴナナ無き後のゴハチと65。楽しかったなぁ・・・。

1979年5月   東北本線。

草いきれの道。

夏の陽炎に往く気動車。

今では考えられない景色。実は日進駅に進入する後追いの写真。腕木式信号機が懐かしい。

電化される前はこんな感じだったんだよね。

ふらりとバイクに乗ってきたような気がする。

梅雨明けの今に想いを馳せて・・・。

マミヤC220

1981年8月   川越線。