田植えが落ち着き風の温度が変わる頃。
今でもこの季節の岩原が大好きだ。
茶色もクリームも赤も緑もオレンジも何にもなくたって・・・岩原のカーブ、その線形は今も昔も変わらない。
眺めているだけで素敵な場所です。・・ネタものがあるときは絶対近寄らないけどね・・・。
1979年6月 上越線。
田植えが落ち着き風の温度が変わる頃。
今でもこの季節の岩原が大好きだ。
茶色もクリームも赤も緑もオレンジも何にもなくたって・・・岩原のカーブ、その線形は今も昔も変わらない。
眺めているだけで素敵な場所です。・・ネタものがあるときは絶対近寄らないけどね・・・。
1979年6月 上越線。
夜も更けてきた。
うっすらと縦に長い天の川を見上げて煙草を独りふかす。
静かな湖畔には人の声もせず。唯、虫たちの合唱の中。
遠い昔に想いを馳せて何を想うか・・。
明日は何処へハンドルを向けようか・・・。
2020年9月16日 北海道。
1986年の冬の旅、帰りの切符の乗車変更をしてもらったのが此処川湯駅。当時はもちろん駅員も常駐していた。
今のパソコンとは違いアナログなマルスをパタパタと小気味よくめくっていたことを懐かしく想う。
小雨降る朝早い駅舎は待合室に電気も燈ることなく唯閑散としていた。
2020年9月17日 釧網本線。
お恥ずかしながら常紋初撮り。
DD51もキハ82も全然撮ったことがない、何せ初めての訪問。キハ82の「おおとり」や「オホーツク」には何度も乗ったことがあるんだけどね・・・。
生田原からの林道は途中ぬかるんでいたりでライン取りが楽しい林道ラン。有名な146キロポストに着くと何人かの鉄の方々が・・。
「すみません何か来るんですか?」
「貨物来ますよ、もう10分ぐらいしたら来ますよ~」
直前に内地ナンバーの車で現れて情報も何もない自分はたぶん変な目で見られたのだろうなぁ・・・。何はともあれ初めての峠でした。
帰り道、金華へ向かうトンネルの頂上辺りであろう場所で林道脇に車を停める。
タコ部屋労働で亡くなっていった人々に手を合わせ山を下りた。
2020年9月15日 石北本線。
雲の多い夕暮れだったから・・。ゆっくりと独り一献傾ける・・・。
気がつくと湖の傍のテントの上には突然の星々が。
あの頃の色々なことが去来しグラスにその分のウイスキーを注ぎ居る。
北の大地での静かな夜の静寂に北斗の輝きが心のざわめきを癒すよ。
口ずさむのはあのメロディ・・そうして眠ってしまおう・・・。
2020年9月16日 北海道。
往年の中里定番の構図だがこの年に撮影しているということは・・・。分かる人には分かるよなぁ・・・。
まぁあの頃だからといえばそれまでだが、当時でもダイヤをよく見たといっても紙一重・・・。
1979年8月 上越線。
今日は幾分涼しい夜な訳で・・・。
なるほど9月になったんだよね。
虫の声が聞こえると季節に想い出す・・・。
1979年9月 上越線。
こんなの撮ってました。
当時は春と秋には結構走っていたのかも。
たぶん日光辺りへの団臨だろうか。
それにしても非冷房とは・・・。ある意味時代だよね。
1979年4月 東北本線。
名残の夏にミヤハマを想い出した。
宮浜川の土手の道はあの頃と違うコンクリートの狭い流れに変わってしまっていたが、眺める先にはやっぱり列車は通っていた。
今は誰もいない土手の道・・。
あの頃は無かった僅かに茂る木々のほんの少しの陰に身を寄せて列車を見送る。
そうして・・ミヤハマの季節は通り過ぎていくよ・・。
本当はずうっと前から・・・。
ふらりと寄ったミヤハマの空に想いを馳せて・・・。
・・・なるほど想い出すのはゴナナだったりして・・・。
季節は違えどもおんなじ場所でね。
2020年9月4日
1976年3月 東北本線。
大好きな「とき」。
ダイヤを見るとここいら辺ですれ違うはず。
いまでもかろうじて当時の雑木林の面影が残る区間。今ではだいぶスカスカになってしまったが当時はもっと鬱蒼としていた。すでに午後の遅い時間でないと181同士の離合は無かったように思う。その後何度か通ったがロクな写真は残せなかった。
何せ藪蚊が多くて難儀したよ。
で振り返ると通り過ぎる「とき」後追い。
1979年4月 高崎線。