——–娘さんよく聞けよ山男にゃ惚れるなよ。——–
ニッカボッカとチョッキにカッターシャツ。
重登山靴に二重の靴下。
キスリングを背負って。
谷川に向かう山男の正装。
そう、此処にも・・・。
愚直な昭和の山男は今宵も挑む。
1979年7月 石打駅。
——–娘さんよく聞けよ山男にゃ惚れるなよ。——–
ニッカボッカとチョッキにカッターシャツ。
重登山靴に二重の靴下。
キスリングを背負って。
谷川に向かう山男の正装。
そう、此処にも・・・。
愚直な昭和の山男は今宵も挑む。
1979年7月 石打駅。
毎夜、人々の手によって機関車が連結される。
カンテラの合図と汽笛を繰り返して。
国鉄マンが生きていた。
1979年7月 石打駅。
くじらなみ。
峠を降りると水平線。
海水浴場の右手には洞窟にも似た景色。
浜茶屋の茣蓙の匂い。
焼きそばと烏賊焼きの匂い。
簡易シャワー室の水着と体臭の臭い。
くじらなみは鯨波に。
1979年7月 石打駅。
こんなところで・・・。
今だったら・・・。
1979年7月 水上~湯檜曽。
重連が行く。
あの景色の中。
EF16かっこいいぞ。
1979年7月 越後湯沢~岩原スキー場前。
モノクロアーカイブ、2ヶ月ほど前に戻ります。
見直しをしていたら、やっぱりと思って。
ここ宮原駅界隈の写真をよく撮っている方がいます。
ホームページ名、「58&SL写真館」の御方。
宮浜にもよく通っておられているようで、80年代のゴハチの写真も沢山撮られています。
僕より年上の方のようで、現役のSLの写真も沢山紹介しておられます。
実は、去年の夏に一度だけ此処宮原でお見受けしました。
ご挨拶も出来なかったけど、ブログでそのときの写真を出していて、ほかに撮影している人は
居なかったので、その方と確信しました。
不思議な気分ですが、今の世の中、そんな出会いもあるんですね。
誰かが言いました、自分はあなたを知らないけれどあなたは自分を知っている。
1979年5月 上尾~宮原。
水上の鉄橋を望む。
此処は前まで小さなスキー場があった所。
スキー場といっても小さなロープトゥーだかリフトが1基ある、本当に小さなスキー場。
子供のソリ遊びにもってこい、そんなところだった。
それでも、最盛期には休みになると結構の人出で賑わっていた。
10年ぐらい前に閉鎖されて、ここがスキー場だったことなんて、景色を見ても気づかないかも。
あの頃だって、オフシーズンにはゲレンデは畑だったもの。
幼稚園に通う息子を連れてきたスキー場。
小さなスキー場。
息子は晴れてこの春、高校へ入学する。
ゲレンデでソリに乗ったり雪遊びをして、はしゃぐ息子の笑顔がビデオに残っている。
「一緒に見るかい?・・・」。
照れくさいだってよ・・・・・。
小さかった息子・・・小さなスキー場で・・・。
2009年12月28日 湯檜曽~水上。
風が吹く。
湯檜曽の駅の待合室で寝ていると、通路を伝い風が轟音のようにやってくる。
おちおち寝ていられない。
独りでいると待合室が大きすぎて落ち着かない。
そんなあるとき、一の倉沢から降りてきたクライマーと駅の待合室で一晩を共にしたことがあった。
酒が無くなり、夜な夜な近くの酒屋へ行き、利根錦を買ってきて二人して飲んだ。
「店、もう閉まってますよ」
「大丈夫、いつもこうしているから・・・」
店の戸をドンドン叩き、寝ている店の人を起こして、酒を買う。
豪快な山ヤさんだったな。
去年の12月、湯檜曽駅が改修されている現場をたまたま見た。
もう、風は吹かないのかなぁ。
1979年7月 湯檜曽駅。
ループを降りて。
小学校の社会の時間で高低差を緩和するのがループと教わったような気がする。
今でも時刻表の路線図にはしっかりとループが記載されている。
案外とアナログなのがうれしい。
夏休みの上越線。
もやのかかった湿度の高い夏の日。
せみの声が聞こえてくる。
ペットボトルなんて無い頃。
何を飲んでいたのだろう。
1979年7月 土合~湯檜曽。
毎度おなじみ大成橋。
まぁ地元ということで、暇があれば来ていたという感じ。
特急、急行、普通、貨物・・・。
まぁ次から次へと。
これは「はくたか」。
絵入りになると判りづらいヘッドマークでした。
1979年5月 大宮~宮原。