EF62重連・ブリジストン横で。

197905_4_001_2ageo.jpg

今は北上尾の駅のすぐ北側。

当時はこんな景色だった。

 

越前が重連になる情報が入ると良く通った。

バイクで30分ちょっと。

朝の空気が気持ちよい。

情報源の彼や仲間内で集まって朝から鉄道談議。

 

しかし結果は重連ということもあり緊張してかタイミングが・・・。

 

 

1979年5月                 上尾~桶川。

 

ダンプ道路の脇。

2010 02 24_0270_2.jpg

春が近くまで来ている、たぶん。

 

あと何度かの名残雪が降ることはあっても、すぐに融けるだろう。

出来ればそうあってほしい。

 

 

春よ早く早く。

15の頃に嗅いだ懐かしい匂いをつれて来い。

 

 

2010年2月24日                  見附~帯織。

 

あの頃は・・・。

197905_1_002_2oomiya.jpg

197905_1_001_2oomiya.jpg

 

白い石灰で書かれたスローガン。

 

 

危機管理という名を冠した、卑屈な低姿勢と事なかれ主義。お役所仕事然としか対応が出来なくなってしまったのは なぜだろう。

現場での判断が出来ない(させない)、やたら高学歴の頭でっかちしかいなくなってしまったのは なぜだろう。

 —–新規採用を何年もせず、世代ギャップをつくり、現場を混乱させ、イエスマン体質の会社になってしまった。—–

 

気が付いたらJNRも無くなり、NRUも風前のともしび。

 

春闘・・・。これまた懐かしい響きとなってしまった。

ゴハチもロクニも・・・。

 

 

1979年5月                   大宮駅。

 

宮浜の朝。

197904_4_001_2miyahama.jpg

いつもの朝。

 

カタカタカタカタッ・・・カタッカタ・カタッカタッ・・・・・。

輝きの後ろには10系寝台、雑客と続く。

 

 

宮浜の朝はそうして始まる。

 

ゴナナじゃないけどね・・・。

 

 

1979年4月                 蓮田~東大宮。

 

EF58蒸気暖房・宇都宮でバルブ。

197905_1_005_3utunomiya.jpg

下りホームは新幹線工事の頃で、ちょうど長岡駅の1番線ホームのようだった。

上りはこれまた、長岡駅に似て、昔の面影が残っていた。

 

 

 

電暖表示灯の無いゴハチが12系を連れてやってきた。

 

 

1979年5月                       宇都宮駅。

 

583系はくつるが上ってくる、今日は五月晴れ。

197905_1_002_2kataoka.jpg

ご存知、片岡。

 

那須連山をバックに583はくつる。

 

 

 

10年以上前、西郷村へ仕事で行った折、久しぶりに訪ねたが、あたりはすっかり

変わっていたのを思い出した。

もちろんその頃は「鉄」休業中だったが。

 

 

1979年5月                      片岡~矢板。

 

谷川岳へ続く道。

2010 02 20_0005_2.jpg

茂倉新道をたどって矢場の頭そして茂倉岳。

蓬沢をつめて蓬峠。

万太郎沢・・・。

たくさんの岳人がこの道を通って谷川へ向かった。

あるいは遭難の報せを伝えるべく駆け下って来た。

 

この先の尾根で風を見たのは遠い昔。

風の固まりは、まるで固形物のようだった。

正直怖かった。

 

 

目印の竹ざおをザックに挿した3人組が通り過ぎた。

話し声を弾ませて。

どうか無事で。

 

 

2010年2月20日                  土樽~土合。

 

雪晴れのジョイント音。

2010 01 20_0047_3.jpg

右の築堤を駆け下りる姿が見えたかと思うと、鉄橋を控えめなジョイント音を響かせ、

冬の真昼間に貨物が行き過ぎる。

 

 

雪原には昨夜の足跡ひとつ。

青空は国境の向こうに続いている。

 

 

遠くからスキー場のBGMが風に乗って聞こえてくる。

 

 

2010年1月20日                 土樽~越後中里。

 

特急電車がたくさんの電基地。

197904_4_001_2higasioomiya.jpg

過ってはゴナナを撮りに来た電基地。

 

真昼間たくさんの電車たち。

ひょっとしてストのときだったのか・・・。

それとも日常の景色だったのか。

ボンネットは「ひたち」のヘッドマーク。

 

記憶が無いひとコマ。

 

 

1979年4月                       東大宮操車場。

 

特急白根が日本一短いトンネルを抜ける。

197904_3_001_2kawarayu.jpg

「白根」の最後尾がちょうどトンネルに架かっている。

そう、日本一短いトンネルへ。

 

左の階段を上りここまで上がってきた。

今だったら反則でしょう。

 

 

線路も下の国道も、例の八場ダム問題でやがて使われなくなってしまう。

ここは本体ダム堰堤より下流としても付け替えになってしまう。

 

最近もたまには車で通るのだが電車は撮ってないなぁ

 

 

1979年4月                  岩島~川原湯。