今年の3月24日に、此処、岩原の大カーブで鉄道写真再開のカットを撮り始めて早9ヶ月。
1974年からのモノクロ35mmのアーカイブも1979年2月まできました。
上越線が今以って大好きです。
春も夏も秋も・・・冬も・・・。
「鉄」復活元年に続く来年はもっと良い風景に出会えますように。 (本当は撮り直しが多かったりして) そして、もちろんいろいろな方との出会いも大切にしてゆきたいと思います。
1979年2月 岩原スキー場前~越後中里。
今年の3月24日に、此処、岩原の大カーブで鉄道写真再開のカットを撮り始めて早9ヶ月。
1974年からのモノクロ35mmのアーカイブも1979年2月まできました。
上越線が今以って大好きです。
春も夏も秋も・・・冬も・・・。
「鉄」復活元年に続く来年はもっと良い風景に出会えますように。 (本当は撮り直しが多かったりして) そして、もちろんいろいろな方との出会いも大切にしてゆきたいと思います。
1979年2月 岩原スキー場前~越後中里。
八王子にて。
どうやっていったのか。何を撮りにいったのか。
ネガの順番からすると、上越線に行った翌週のようだ。その次の週はまた上越線に行っているので
そのあいだの週ということは分かるのだが・・・。
高尾臨のDD51も写っているが、なぜ八王子なのか。まったく思い出せないカットです。
1979年1月 八王子駅。
水上機関区。
今ではデゴイチが来ることで公園と相成ってしまった。
機関庫も国鉄ストアもなーんにもなくなってしまった。
水上駅前のトヨタ食堂の頑固親父も今は亡き、跡地は今では草ボウボウ・・・。
「風邪薬」が懐かしい。
そして道の駅のEF16は・・・。
1979年1月 水上機関区。
絵入りヘッドマークになった「とき」。
このカットがまさに初めてで、遠くから見て、なんか色が変だと感じた。
ダイヤや運用には明るかったのだが、当時はその辺の情報は乏しく現場に来るまで分からなかった。
この後の「とき」を近くで確認し緑色であることが分かり、正直複雑な気持ちになった。
本当に似合っているのかなぁ・・・。
・・・車両デザインを含め、当時の国鉄の技術をつぎ込み完成された「こだま型」。
思い込みがあるがゆえ、やっぱり違和感は否めない。
今以って・・・・・。
1979年1月 水上~湯檜曽。
夜行列車帯は踏ん張りどころ。
寒さもピークとなり、眠気から来るだるさも加わり一番きつい時間帯。
この頃の石打駅は終夜ストーブが焚かれていた。
733Mで降りたスキー客が結構な人数いるし、スキー宿からあぶれた客も夜明かししている。
つまり、ストーブのそばに陣取れるかというと、そうでもなかったりする。
オーバーパンツの中に新聞紙を入れ、寒さを凌ぐなんてことも今となっては良い想い出。
今だったら、ヒートテックなんて代物もあるのにね。
1979年1月 石打駅。
ゴハチの牽く荷物列車。
補機は付かない。
小雪の年だったのだろう。線路の上には雪が少ない。
ホームに雪が無いのは除雪しているから。
足元は時間と共にそれでもクラストしてゆく。
長時間停車の中、時々コンプレッサーが動きその音をホームに響かせる。
セコニックの露出計がデータを指し示す。
シャッターダイアルB。
シャッターの上がる音。
さぁ出発信号が青になり、汽笛を吹き、ゆっくりと25‰を登って行く。
1979年1月 石打駅。
石打駅の2階管理事務所に構内撮影許可のお願いと挨拶。併せて今晩と明日の運行情報である駅報をもらいに行く。
石打の駅での撮影はそこから始まる。
高校生如きに職員は丁寧に対応してくれた。
駅では24時間ストーブが焚かれ、4時過ぎに撮影が終わった体を暖めることも出来た。
考えてみると夕方4時ぐらいから撮影をし朝の4時まで、途中一度待合室に少しの時間
戻る以外よくまああの寒さの中撮影していたものだ。
バルブで活躍したセコニックはオーバーホールや部品交換を経て今も現役だ。
EF16たちの連結や発車のホイッスル。
構内列車接近の警報音が今でも耳に木霊する。
セコニックよ君も覚えているだろう。
1979年1月 石打駅。
冬の宮浜。
前の年から16号バイパスの工事が始まったように記憶している。
このときはまだ橋脚の工事が始まったばかり。
工事が休みなのをいいことに、工事用足場に登って撮ったのがこのカット。
足元がすくみ、僅か数カットを撮って退散したのを覚えている。
ちなみに機番はラストナンバー175番。
1979年1月 東大宮~蓮田。
武蔵野の風景とは、霜柱とからっかぜの中で宮浜にいるということ。
霜柱が解けて靴に泥がつき、そこいらの枯れ枝を拾って泥をぬぐう。
なけなしのお金で温かい飲み物を買う。
手袋をはめて自転車を漕いでさぁ次のポイントまでひとっ走り。
1979年1月 東大宮~蓮田。