初めての碓氷線。

4月になり高校2年のスタートです。でもまだ春休みです。

初めての横軽です。今だったら此の撮影場所は駄目でしょうけど当時は手を上げて挨拶すると機関士や運転士が合図してくれたものでした。169を押し上げるロクサン。やたらブロアーとモーター音がでかいそれが第一印象でした。そんな碓氷峠ですが1997年に廃止となって23年・・もうそんなに経つんですね・・・。

1979年4月   信越本線。

飯士山を望む。

リゾートマンションが乱立する前の飯士山麓。

いわっぱらスキー場のなだらかな斜面はなんて素敵なんだろう。春の日差しはシーズンの終わりを告げているけど心躍る季節の到来なんだからしょうがない。

ピィーピッピッ・・ピィーピッピッ・・合図を交わして2台の機関車は山を下りてくる。

1979年3月   上越線。

水上から湯檜曽まで。

この日は水上から撮影をしながら湯檜曽まで歩いたんだっけ。そこそこの距離があり湯檜曽に着く頃は銀箱が少し重たいと思ったよ。ねぇS水!。この日も君と一緒だったね。今では考えられないがこの辺は線路脇の犬走を歩いたんだよね。今じゃ捕まるよ・・。

あの頃の湯檜曽駅はシーズンになると民間委託の駅員がいたように記憶している。上越線複線時に大きなコンクリートの駅になったが10年ぐらい前に改築されてやたらトイレが綺麗なこじんまりとした駅になった。

あの頃よく野宿した下の大きな待合室は下り線の列車が入るとすごい風が吹き抜けるそんな駅だった。

1979年3月   上越線。

大正橋ピーカン。

ご存じ大正橋。赤城山をバックに轟音を響かせゴハチが牽く列車がやってきた。当時、昼間の上越線スキー多客臨のホープと言えば8702ㇾだった。何度被写体としてお世話になったことか。

ブルーの客車にゴハチは良く似合うよ。

満員のスキー客を乗せて上野まではもう少し・・。

1979年2月   上越線。

松川鉄橋定番。

35mmポジのアーカイブに戻ってまいりました。

なんだか4×5やブローニを見た後だと画質の違いを感じます。この頃はまだ35mmポジとモノクロ2丁切りの時代なので当たり前なのですが・・。

それはさておき、やっぱり大好きな上越線。天気がいいと気持ちいい!松川鉄橋を12連が駆けてゆく。

1979年3月   上越線。

津久田駅で。

上越線水上方の撮影地と言えば言わずと知れた此処津久田界隈。随分とお世話になりました。

今は蒸気機関車が走ることで俯瞰撮影で有名なようだが当時から東京圏からのアクセスも良くファンには良く知られ棚下に代表される赤城山と利根川の織り成す自然環境は数々の撮影地を提供してくれた。

そんな徒歩鉄にとっての起点となるのが此処津久田駅。その頃上越線の水上方の無人駅と言えば津久田だけだったように記憶している小さな駅だった。

あまり天気が良くなかった日であろうホームに115系各駅停車が滑り込んだ。

これは一番最初に津久田に来た中学2年の時の写真。新潟ローカル70系が高崎まで来ていた頃のもの。この利根川に架かる鉄橋を銀箱と三脚担いで渡ったのだがとにかく怖かったことを覚えている。

1979年2月

1976年9月   上越線。

通学時の一枚。

熊谷駅の西方には歩行者用の小さな跨線橋があった。傍には自動車等の踏切もあったのだが当時は踏切警手による手動で開閉が行われていたことと記憶している。

これは2321ㇾが熊谷に着いて、その跨線橋に寄って撮影したもののようだ。たぶん新雪だかの写真を撮るついでに撮影したのでは・・。

これから自転車預り所に戻りチャリンコ漕いで学校まで行くのだがたぶん今日も遅刻だな・・。楽しい通学のひと時・・・。

1979年2月   高崎線。

春の川辺の記憶。

キラキラと輝く魚野川と岸辺の残雪。181が上野へ向かって駆けてゆく。

なんて素敵な朝だろう。

この日も後輩のS水と前の晩の石打からずうっと一緒・・。

先日飲んだ時話題になったけど・・自分はキャノンAE-1とフジカST801、S水はニコンFMとペンタックスSPF。高校1年と中学2年にしては生意気な機材だったよ。お互いもうすぐ学年が上がる春休み天気も良くていい日だったねぇ。

世の中落ち着いたらまた行こうね。

1979年3月   上越線。