ボンネットにも絵入りヘッドマーク。

このカットが181系「とき」の絵入りの最初のカット。183系などのロールマークに絵入りヘッドマークが導入され始めていたがまさかボンネットにもとは思わなんだ・・・。

このとき一緒に行った友人と先週飲んだけどやっぱり当時の話題に花が咲いたよ。絶対ボンネットは文字だけのヘッドマークが良いよねって・・・。

俺が高校1年彼が中学2年・・・今はおじさん二人の戯言飲み会でね・・・。

1979年1月   上越線。

ゴハチのラストナンバー。

蒲須坂の鉄橋へ。午前中は片岡で撮影して午後からここへ来た。川とガーターが近くに感じて、高さの無い鉄橋というイメージが最初の印象。

どことなく違和感を感じながらの撮影だった記憶がある。

1978年9月   東北本線。

やっぱり「とき」でしょう。

1978年はちょうど高校1年にあがった年。前項の都電荒川線が4月で少し背伸びをしてカメラも新調キャノンAE-1に。そしてモノクロはフジカST-801でスリックプレートの2丁切りが始まったころ。

それでも翌年の暮れにはブローニのマミヤC220がラインナップに加わるから35mmとの2丁切りは割と短かったことが分かる。35mmはその後キャノンEF、ニコンFMとなりブローニと35mmの2丁切りに。そしてその後ブローニはマミヤプレス、フジ6×9、ペンタ6×7が加わる。次第に35mmはどちらかというと2番手的な位置付けになっていった。

前々稿の小海線の写真の時のように山登りなどは35mmだったからそのおかげで撮影した鉄道写真も実は意外なところから見つかったりする。リバーサルのマウントが入ったケースの裏面に撮影日や内容が書いてあるのだがその内容は36枚の主だったものしか書いていないから実は意外なものが写っていたりする。

まだしばらくは35mmのポジがメインの頃が続きます。そんなわけでその中から少しは見られそうなものを少しづつ御笑覧いただければと思います。

1978年7月   高崎線。

都電花電車。

出てきました。何を隠そう35mmリバーサルフィルムの一本目。

撮影に行ったこととポジの一番最初は都電だったことはさすがに覚えていたのですが・・。飛鳥山は花電車を見ようとすごい人出だったんですね。沿道の子供たちの服装が懐かしい。あと上の写真の白バイの機種は何だろうマフラーの形状がなんとも古めかしい。今度バイクに詳しい友人に聞いてみよう。

1978年4月   都電荒川線。

山登りの前に。

このときは電車で高崎を経由して横軽を超えて小諸から小海線へ。夜に清里で合流する友人が来るまでの時間ウロウロとしていたようだ。この後、野辺山で汽車を降りて徒歩で平沢峠から飯盛山に登りそして清里のユースホステルへと向かった。彼とは翌日八ヶ岳への登山を考えていたが急遽金峰山への計画に変更して翌朝に清里~小淵沢~韮崎と汽車を乗り継ぎバスで瑞牆山荘まで入り山に向かったのだった。

35mmのポジを見ると前半のいっときだけ鉄っちゃん、後半は山の写真ばっかりだった。ニッカボッカにザック担いで鉄なんて変わっているよね・・。

先週久しぶりに小海線に撮影に行ったのだけれども ナントカは高いところへの格言ではないがこの頃からこんな感じの写真が好きだった見たい。

やってること変わんねぇなぁ・・・。

今まで35mmのモノクロとブローニーのポジは一部スキャンしてきたのだけれど、35mmのポジは手付かずだったのでこれからたまにアップしてみようかと考えております。不精なものでいつまで続くやら・・・。

1983年12月   小海線。