石打駅、夜の帳が下りる頃。

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石打駅の2階管理事務所に構内撮影許可のお願いと挨拶。併せて今晩と明日の運行情報である駅報をもらいに行く。

石打の駅での撮影はそこから始まる。

 

高校生如きに職員は丁寧に対応してくれた。

駅では24時間ストーブが焚かれ、4時過ぎに撮影が終わった体を暖めることも出来た。

 

考えてみると夕方4時ぐらいから撮影をし朝の4時まで、途中一度待合室に少しの時間

戻る以外よくまああの寒さの中撮影していたものだ。

 

バルブで活躍したセコニックはオーバーホールや部品交換を経て今も現役だ。

 

EF16たちの連結や発車のホイッスル。

構内列車接近の警報音が今でも耳に木霊する。

 

セコニックよ君も覚えているだろう。

 

 

1979年1月                 石打駅。

 

モロの想い出。

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モロとは「とき」に使われていたグリーン車。

 

親父と乗ったグリーン車。

長岡から大宮まで法事か何かの帰りに二人で乗った。

「ひろ、グリーン車に乗ったこと無いだろう 乗るか?」

「うん!」

シートの柄は違うし、リクライニングも。足置きだって着いている。

豪華じゃん。

 

夕方の長岡駅に「とき」が滑り込む。

3月のその頃は日の入りも早い。それでも窓際に座らせてもらい窓の外は間もなく暗くなる。

時々すれ違う列車や駅の灯り。遠くにぼんやり浮かぶ街の灯。

 

親父は疲れたのか途中からいびきをかき始めた。

「かっこわるいなぁ・・・」

トイレに行くとき親父の脚を跨ぎ通路に出る。

薄暗い蛍光灯の照明のもと、モーター音の響くデッキのトイレの戸をガチャンと開ける。

 

帰ってくるとやっぱりいびきをかいている。

くたびれたのだろう。顔をのぞき込み、そおっと脚を跨ぎ席に着く。

 

外は、また漆黒の闇。

 

 

親父が亡くなってずいぶん経つ。

今、自分が父親になって、いびきをかく。

息子や娘は、「かっこわるいなぁ」と思っているのかなあ。

 

あのときの寝顔を忘れないでいてくれるかなぁ。

 

 

2009年12月16日              六日町~塩沢。

 

特急、越後路を下る。

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もうすぐ雪に変わろうか。

冬の時雨時。

 

特急が下ってゆく。

まるであの頃と同じように。

 

エンジとクリームの余韻は、軽やかなモーター音と車輪の響きを残して通り過ぎる。

 

 

2009年12月16日               石打~大沢。

 

宮浜、俯瞰。

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冬の宮浜。

 

前の年から16号バイパスの工事が始まったように記憶している。

このときはまだ橋脚の工事が始まったばかり。

工事が休みなのをいいことに、工事用足場に登って撮ったのがこのカット。

足元がすくみ、僅か数カットを撮って退散したのを覚えている。

ちなみに機番はラストナンバー175番。

 

 

1979年1月                東大宮~蓮田。

 

EF58で宮浜、雑木林と冬の陽の下。

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武蔵野の風景とは、霜柱とからっかぜの中で宮浜にいるということ。

 

霜柱が解けて靴に泥がつき、そこいらの枯れ枝を拾って泥をぬぐう。

なけなしのお金で温かい飲み物を買う。

 

手袋をはめて自転車を漕いでさぁ次のポイントまでひとっ走り。

 

 

1979年1月          東大宮~蓮田。

 

冬がそこまでやってきている。

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杉木立の中は枯れ草と茶色くなった杉の葉のにおい。

 

雪が降ると、たくさんの葉っぱは細い枝と共に雪の重みに耐え切れずに、

杉の木の下の雪の上をまた茶色くする。

 

 

もうすぐそんな季節。

 

過ぎ行く季節に戸惑いを感じ、来る季節に思いを馳せるのはいつものこと。

いよいよ天気予報に雪マークが出た。

 

 

2009年12月10日         岩原スキー場前~越後中里。

 

大宮駅の夜。

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師走にはもう少し時間がある頃。

 

この夜は自分ひとり。

たまに酔っ払いのおじさんが何事かと近くまで来ることはあっても、一瞥されてただそれっきり。

電車を待ってる少女のスカートの長さが時代をものがたる。

 

 

良い夜だったな。

静かで。

駅のアナウンスが今にも聞こえてきそう。

 

 

1978年12月       大宮駅。

 

東北ローカル。

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宇都宮から北の東北線を当時「ローカル」と呼んでいた。

 

雑客が無くなってからの訪問だった。

 

蒲須坂の鉄橋・・・。

どうも利根川水系と違い那珂川水系には縁が無かったようで

ピンとこない鉄橋だった。

 

 

1978年10月     蒲須坂~片岡。