米福型。

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米沢から福島だから米福型と言うらしい。

もちろんその時代のことは知らない。

奥羽本線が直流?。

今では新幹線規格になってしまい、その前は狭軌の交流だったから、その前のことだ。

 

幸い豪雪地の勾配用という事で、その後、ここ水上機関区と長岡機関区に集中配備され

晩年を送ったのだ。

 

中でもヘッドライトや乗務員出入り口の上のヒサシが付いているものは一際異彩を放ち

人気を博した。

 

 

1979年2月                   水上機関区。

 

今年も上越・いわっぱらでしょう。

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岩原での2カット。

なんてったって当時の定番ポイント。

 

朱鷺にいなほなんて今考えてみても良い名前だなぁ。

 

銀箱持って三脚かついで駅から歩くのが昔。

汗かくと待ってるあいだ結構寒いんだなぁ。足はしもやけになるし。

ちなみに携帯カイロって知ってますか・・そう白金カイロ。家を出る前にカイロの芯に火をつけて

現場に付く頃にはあったかいのよ。

 

 

1979年2月                    岩原スキー場前~越後中里。

 

岩原の大カーブ。

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今年の3月24日に、此処、岩原の大カーブで鉄道写真再開のカットを撮り始めて早9ヶ月。

1974年からのモノクロ35mmのアーカイブも1979年2月まできました。

 

上越線が今以って大好きです。

 

 

春も夏も秋も・・・冬も・・・。

 

 

「鉄」復活元年に続く来年はもっと良い風景に出会えますように。 (本当は撮り直しが多かったりして) そして、もちろんいろいろな方との出会いも大切にしてゆきたいと思います。

 

 

 

1979年2月                   岩原スキー場前~越後中里。

 

ゲタ電、横浜線。そして八王子。

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八王子にて。

 

どうやっていったのか。何を撮りにいったのか。

ネガの順番からすると、上越線に行った翌週のようだ。その次の週はまた上越線に行っているので

そのあいだの週ということは分かるのだが・・・。

高尾臨のDD51も写っているが、なぜ八王子なのか。まったく思い出せないカットです。

 

 

1979年1月                     八王子駅。

 

ゆうべの雪のあとは。

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湧き水の流れ込む田んぼの一角。

 

それでも雪はやがて根雪になり、すべてを覆い隠す。

来年の春まで田んぼの神様はじっとしその日を待っている。

春を夢見て長い眠りに着くのだろう。

 

モーターの音は雪にかき消されて、静かに静かに・・・。

 

 

2009年12月29日               越後湯沢~石打。

 

棚田に暮れの陽。

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暮れなずむ。

 

残雪の頃。田植えの頃。緑のじゅうたん、山が蒼く輝く頃。黄金色の頃。

 

 

風が吹いていたよ。

田起こしの土のにおいを嗅ぎ、草いきれの炎天下に汗を流し、やがて、枯れた草のにおいは

何度かの冷たい雨に土に返る。

 

 

今は、冬の僅かなにおいを、こうして感じている。

起立して、眼を閉じて。

 

 

2009年12月28日          上越国際スキー場前~塩沢。

 

それでも明日に。

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水上機関区。

 

今ではデゴイチが来ることで公園と相成ってしまった。

機関庫も国鉄ストアもなーんにもなくなってしまった。

 

 

水上駅前のトヨタ食堂の頑固親父も今は亡き、跡地は今では草ボウボウ・・・。

「風邪薬」が懐かしい。

 

 

そして道の駅のEF16は・・・。

 

 

1979年1月                      水上機関区。

 

水上の鉄橋でヘッドマークを見た。

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絵入りヘッドマークになった「とき」。

 

このカットがまさに初めてで、遠くから見て、なんか色が変だと感じた。

ダイヤや運用には明るかったのだが、当時はその辺の情報は乏しく現場に来るまで分からなかった。

この後の「とき」を近くで確認し緑色であることが分かり、正直複雑な気持ちになった。

 

本当に似合っているのかなぁ・・・。

・・・車両デザインを含め、当時の国鉄の技術をつぎ込み完成された「こだま型」。

思い込みがあるがゆえ、やっぱり違和感は否めない。

 

今以って・・・・・。

 

 

1979年1月         水上~湯檜曽。

 

石打の夜は更けて。

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夜行列車帯は踏ん張りどころ。

 

寒さもピークとなり、眠気から来るだるさも加わり一番きつい時間帯。

 

この頃の石打駅は終夜ストーブが焚かれていた。

733Mで降りたスキー客が結構な人数いるし、スキー宿からあぶれた客も夜明かししている。

つまり、ストーブのそばに陣取れるかというと、そうでもなかったりする。

オーバーパンツの中に新聞紙を入れ、寒さを凌ぐなんてことも今となっては良い想い出。

今だったら、ヒートテックなんて代物もあるのにね。

 

 

1979年1月               石打駅。

 

石打のゴハチ。

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ゴハチの牽く荷物列車。

補機は付かない。

 

小雪の年だったのだろう。線路の上には雪が少ない。

ホームに雪が無いのは除雪しているから。

 

足元は時間と共にそれでもクラストしてゆく。

 

 

長時間停車の中、時々コンプレッサーが動きその音をホームに響かせる。

セコニックの露出計がデータを指し示す。

シャッターダイアルB。

 

 

シャッターの上がる音。

さぁ出発信号が青になり、汽笛を吹き、ゆっくりと25‰を登って行く。

 

 

1979年1月                      石打駅。