雪の少ない石打、夜。

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拙いブログのモノクロアースイブスも1974年から、やっと、1980年までやってきました。

1980年のしょっぱなは、やっぱり、大好きな石打で。

 

雪が少ない年明け、前日は岩原に居て、夜はやっぱり石打。

 

ストーブが一晩中焚かれた待合室に戻ったのは、4時近くだった。

ちょうど64が投入され始めた頃。

 

 

実は、昨日も仕事で、苗場に行ってきたのだが、17号を逸れ、石打駅前の岡村貢翁の

銅像を拝んで帰ってきた。

真夏の石打は、稲が青々とし、白い雲が山の端に浮かび、緑の風が吹いていた。

 

線路の際は、鉄の擦れた匂いと、草いきれ。

季節こそ違うけど、あの頃と変わらない自分がそこには居た。

 

 

1980年1月                          石打駅。

 

夏の夜。

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夕立が去り、虫の声。

 

そして、今宵も良い夜を迎えた。

 

 

独り、月夜に身を置き、退屈紛れに煙草をふかす。

煙が蒼く見える。

 

 

鉄橋を渡る列車から見えた人影は光跡となって、かの地へ。

 

もう遅いよ・・はやくおやすみ・・・。

 

 

2010年7月27日                   土樽~越後中里。

 

雪の無い岩原。

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12月の30日頃ではなかったか。

本当に雪が無い。

 

もっとも年が明けて本格的な雪が降ったのだが、この年は年末年始のスキー場は

雪不足だったように記憶している。

 

グリーンの帯が1両・・。

この頃から帯が消えていったのかな。

それにしても、181といい165といいかっこいいねぇ。

 

 

1979年12月                     岩原スキー場前~越後中里。

 

冬の朝。

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バイクにカメラバックと三脚をくくりつけ、大宮から。

 

日の出の頃、まずは暖気運転をして。

さぁ出発。

手がかじかむ、足の指先も・・・。

オレンジのジェットヘルから出ている顔に当たる風が冷たい。

波久礼から金尾峠を越え長瀞へ。

空気が変わるのはちょうどそのあたり。

 

さぁデキがやってきた。

楽しい一日の予感。

 

 

1979年12月                  長瀞~野上。

 

桑畑の小径。

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秩父の地は、かつてこの桑をとても大切にしていた。

 

蚕のための桑。

夜になるとサワサワと蚕が桑を食む音が一階にいても聞こえてきたそうだ。

 

冬枯れの桑畑のこみち、霜柱が解けていく。

貨物がガッタンガッタン過ぎてゆく。

 

 

1979年12月                 野上~上長瀞。

 

デキたち。

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秩父鉄道で忘れてはいけないのは、デキたち。

 

鉱石列車はもちろん、普通貨物とあわせるとたくさんの列車が走っていた。

旅客と貨物の比率は6対4ぐらいだったのでは。

 

 

デキ4はまだ茶色だったかなぁ。

デキ300はシールドビーム改造前だ。

 

 

1979年12月                 上長瀞~親鼻。

 

長瀞で。

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休日になると東上線経由でこんなのも乗り入れていた。

 

東武や国鉄の車両が入線すると、パンタ昇圧と材質の関係で

架線が痛むようなことを、保線の仕事をする彼の父親が話していたのを

思い出す。

 

彼の両親が亡くなって久しい。

ホンダの研究所に勤める彼は、たまには故郷に帰っているのだろうか。

 

会わなくなって暫らく時間が経つ。

今以って思う。この頃の写真が撮れたのは彼のおかげ。

元気でいるか。

 

 

1979年12月               長瀞駅。