ガサゴソしたら出てきました!撮ってました丸瀬布・・。
4×5での撮影です。レンズはたぶんジンマーの120mmだったような・・。
原版ノートリです。もちろん置きピンは当たり前・・シャッター閉めてホルダー入れたら‥画面見えないですから・・・。因みにフィルムはフジの50D。
確か前の日の夕方丸瀬布に入り野宿したような・・。34年もたつと色々記憶が曖昧なのはしょうがありません。
1986年8月 丸瀬布。
ガサゴソしたら出てきました!撮ってました丸瀬布・・。
4×5での撮影です。レンズはたぶんジンマーの120mmだったような・・。
原版ノートリです。もちろん置きピンは当たり前・・シャッター閉めてホルダー入れたら‥画面見えないですから・・・。因みにフィルムはフジの50D。
確か前の日の夕方丸瀬布に入り野宿したような・・。34年もたつと色々記憶が曖昧なのはしょうがありません。
1986年8月 丸瀬布。
メカ的なことはサッパリな私ですが、要は昔の写真屋さんが暗幕に首突っ込んで撮ってた測量に使うようなごっつい三脚に載ったカメラのことですかね。
何十年か前の「鉄道ファン」の表紙みたいなお写真に初めて拝見したにも関わらず懐かしさをおぼえました。
大型カメラで動態ブレのない走行写真ということで編み出された正面がちにお顔がドン!のモロキューアングル。
それが毎号毎号でしたね…。
あの頃は鉄道写真業界ではハッセルブラッドやゼンザブロニカ、マミヤRB等の中判カメラが主流だったと思います。確かに当時のレンズシャッターのカメラは1/500が限界それも本当に出ているんだか疑わしい・・。
そんな状況の中で一眼レフを一回り大きくしたようなデザインで1/1000が切れるシャッターのペンタ6×7の登場で、鉄=デカペンになっていったように思います。まぁハッセルなんて舶来は値段もバカ高くステータス的要素も多分にあって手が届く存在ではありませんでしたけど・・。
因みに時代に取り残されたかのような大判ですが今でも現役でこだわりを持って撮影されている方も一部には居るようです。ただ感材の種類も少なくなり現像代等も値上がりし大変なのではと思いますが・・。
乾布被っての昔の写真屋さん・・・。確かにそんなイメージがありますよね・・小学校の時の入学式の写真屋さんその頃はまだそんな感じだったですよね。