岩原の115系と165系。

当時のルーティンはまずは岩原駅から歩いて線路をくぐり冬季閉鎖された踏切脇から115系の場所、午後になると新日本スキー場の跨線橋を渡り民宿街から線路際のアウトカーブ定番が一日の流れ。

あの頃の天気確認は177に電話して長岡気象台発表の音声のみ。今だったらスマホで各気象サイトの詳しい天気が確認できるけど当時はそれが限界。考えてみると長岡と湯沢じゃ天気違うもんね・・。言ってみれば行き当たりばったり出たとこ勝負ってゆう感じだったなぁ。撮影に行きたくてうずうずしてるわけだから本当は天気は二の次だったもんなぁ。

銀箱担いで三脚持ってよく歩いたなぁ。定番だけど今も変わらない大カーブ・・。

1979年1月   上越線。