梨の木沼のこと。

此処から数分の処に高校時代の同級生が住んでいた。そんなに仲が良いわけではなかったが何度かツーリングに出かけたり、八高線撮影の折、顔を出したことがあった。

その彼から当時聞いた話。この梨の木沼で冬になると地元の連中とスケートに興じたと。まぁ本格的なスケートというよりは雪遊びならぬ氷上遊びの類であったようだ。

ここいら辺りに撮影に来るようになって早や40年。道路が新しくなったり山の手入れがされなくなって久しい。この先の旧道はずうっと通行止めのままだし、たまに伐採が入り何かと思えば丸坊主にして太陽光発電のパネルが山を覆う。

それでも此処梨の木沼は当時とあまり変わることなく冬になると水を凍らせている。会わなくなって久しい友よ元気でいるか・・・。

2019年1月11日   八高線。

川の流れは冬の想い出色。

冬枯れの中、汽笛を鳴らしガタゴトと鉄橋を渡ってゆく。

川色はいくらかシルトの混ざるなんとも言えない感じ、丁度明科の三川合流のあたりの犀川のような色をしている。もうひと月もすると其の犀川の解禁だ。DDを見に来て松本の釣友の事を想い出した。尋ねてみようかなぁ久しぶりに・・・。

2019年1月11日   八高線。

水の一文字。

古くは秩父札所への巡礼道の一つでもであった釜伏峠越え旧秩父往還。峡谷沿いの難所を嫌い脇往還的な釜伏山と陣見山に挟まれた峡間に明治末から大正にかけて武甲山の石灰石輸送のため秩父鉄道が敷かれその後国道140号線が敷かれた。線路の後ろのコンクリートの塊は異様な感じさえする。

寛保2年旧暦7月末の大洪水では高台に避難できた人を除きこの付近一帯は人や家も田畑もすべて呑みつくされました。荒川が狭まるその地形故その後昭和になっても幾度となく水害に悩まされた狭間であったのです。

樋口の駅前に小学校があります。国道沿いのグラウンドを隔てる高い金網に「水」の一文字が記されています。現在の磨崖標ともいえるその標の高さが270年前の洪水時のその時の水位を今も伝えています。

峡谷のコンクリートの塊はかの武甲山の山肌を削り今に至ります。時代の流れは不思議な感じがします。

2019年1月9日   秩父鉄道。

牛田の屋敷森。

宮浜だのAMポイントだの牛田だの・・・。名付け親であるゴナナ狂会の面々しか通じない名称を今更こんな陳腐なブログでのたまうなんて。しかも当時中学生の自分はそのお歴々の方と知り合いなだけで、実はおこがましかったりする。(兄貴は狂会員だったけど)

失礼仕りました。許してちょんまげ・・・。

それでもやっぱり新年初撮りは地元宮浜でした!。

2019年1月7日   東北本線。

冬の綾瀬川。

後ろの木々の影が冬の低い日差しに陰を伸ばす。綾瀬川は田んぼの水が入るころになると滔々と流れるが今はゆったりとその時を待っている。

親父がいた頃、丁度此処この場所で釣り糸を垂れたのは遠い想い出。あれは菜の花咲き春風に吹かれての頃、春休みだった様な・・・。

2019年1月7日   東北本線。

宮浜の季節。

世間の皆さんは今日から仕事始めという方も多いかと。牛田にも宮浜AMポイントにも125ㇾシルエットポイントにも誰一人いない。

北風の中いくつかの撮影地を久しぶりに歩くと目の前に14歳だった自分が同じようにカメラを構えていた。

彼が言う「まだうろうろしてるの?」

「うん!」と答えて仲良く隣に三脚を立てて撮影をした。

2019年1月7日   東北本線。