春はあけぼの。

前日の夜に宇都宮駅に入り下り夜行を撮影した後、いよいよ本番の上り夜行列車たちの撮影。眠い目をこすりながら新星から始まる夜行列車群。津軽を始めしんがりは「あけぼの」。

次々と上る列車たちの先頭はゴナナ無き後のゴハチと65。楽しかったなぁ・・・。

1979年5月   東北本線。

草いきれの道。

夏の陽炎に往く気動車。

今では考えられない景色。実は日進駅に進入する後追いの写真。腕木式信号機が懐かしい。

電化される前はこんな感じだったんだよね。

ふらりとバイクに乗ってきたような気がする。

梅雨明けの今に想いを馳せて・・・。

マミヤC220

1981年8月   川越線。

あの頃の八高線。

越生、明覚、小川町、竹沢、折原・・・想い出すだけでも素敵な景色の連続だった。

採石地から溜池のカーブ、小さなサミットからのストレート・・。今ではみんな撮れなくなってしまった撮影地・・・。

そういえば当時住んでいた大宮から越生の黒山三滝や金勝山の小川少年自然の家に自転車漕いでいったのは中学生の頃。サイクリングと称して通学用チャリの保安部品を外し軽量化を図り挑んだことが今となっては懐かしい。

鉄道写真を撮るようになっても目指したのはやっぱり彼の地域や秩父方面だったりする。結局自分の方位磁針はそっちにしか向かっていなかったようで今もって苦笑する。

秩父困民党甲大隊長新井周三郎の出身地は西ノ入だったりするし・・。

自分の中では秩父に向かう奥武蔵の地は今も昔も懐かしい風景そのままです。

1981年2月 ペンタ6×7 200mm

1982年9月 ペンタ6×7 55mm    

いずれも八高線。

風が口ずさむ。

大好きな十勝の地に風たちがメロディを口ずさむ。

十勝に入り約一週間ずうっと雨交じりの日が続いた。その間ロケハンで散々うろうろした挙句のやっとの晴天・・。そしてほんの少し前に車を停めて4×5機材一式を担ぎ出して此処はと思うところで撮影。ところがアクセルを踏んで僅か数分・・・。走り始めた車のウインドグラスの左に素敵な落葉松が目に付いた。もう一度4×5を引っ張り出して牧草地の脇に三脚を立てた。

そうしていると、やがて気持ちの良い風に頭を揺らした落葉松たちもが踊りだす・・。清々しい空の下、そう、晴れの陽を一緒に口笛を吹きながら・・・。

去年久しぶりに彼のアクセルを停めた地を訪ねた・・・。口笛を吹き笑っていた落葉松林は無くなっていた・・・。

ウイスタ4×5VX テレアートン270mm 50D。

1987年8月   足寄。

金尾峠から。

通っていた熊谷の高校には県北はゆうに及ばず秩父からも結構な数の生徒が通っていた。ある時、長瀞から来ていた同じクラスの彼から金尾峠越えの道を教わった。バイク乗りの彼は秩父はもちろん寄居に抜ける間道もよく知っていた。

自分は言うと・・「秩父鉄道が見えるじゃん」、てなわけでその後何度となく当時住んでいた大宮からバイクで通うことになったわけです。当時の道は一車線の狭い道で通る車もほとんどなく道路脇に三脚を立てのんびりと撮影が出来ました。もちろんその頃はデキを撮る人はほとんどいなく何時行っても自分だけ・・そんな感じでした。この道路、今は国道140号の長瀞方面への迂回路となり道幅も2車線、トラックや乗用車がひっきりなしに通る幹線道路です。

そしてこの構図ですが現在は手前の木々が伸びまったく見えません。40年も経てば当たり前ですよね。そういえばこのあたり今は近くの金尾山つつじ園からの俯瞰で有名のようですが自分はというとやはり荒川を入れたこの頃の雰囲気がお気に入りでした。

マミヤC220 105mm

1980年11月(たしか11月14は県民の日でお休みでした)   秩父鉄道。

ミヤハマ晩夏。

東北本線にも115系が当たり前だったころ。

夏の終わり秋の気配が忍び寄る。いつもの列車はいつものように駆けてゆく。

普段から自分のテリトリーを大事にして色々な構図で楽しむのも面白いんだけどねぇ。此処東大宮~蓮田は今でも人気の撮影地だが多くの鉄の方々はお立ち台のお決まり構図でしか撮らない輩がほとんどのような気がする。もったいないねぇ・・・。まぁ所詮趣味の問題だと言われればそれまでだが。

撮っておいてよかった115系。

ペンタ6×7 55mm

1982年8月   東北本線。