水上から湯檜曽まで。

この日は水上から撮影をしながら湯檜曽まで歩いたんだっけ。そこそこの距離があり湯檜曽に着く頃は銀箱が少し重たいと思ったよ。ねぇS水!。この日も君と一緒だったね。今では考えられないがこの辺は線路脇の犬走を歩いたんだよね。今じゃ捕まるよ・・。

あの頃の湯檜曽駅はシーズンになると民間委託の駅員がいたように記憶している。上越線複線時に大きなコンクリートの駅になったが10年ぐらい前に改築されてやたらトイレが綺麗なこじんまりとした駅になった。

あの頃よく野宿した下の大きな待合室は下り線の列車が入るとすごい風が吹き抜けるそんな駅だった。

1979年3月   上越線。

大正橋ピーカン。

ご存じ大正橋。赤城山をバックに轟音を響かせゴハチが牽く列車がやってきた。当時、昼間の上越線スキー多客臨のホープと言えば8702ㇾだった。何度被写体としてお世話になったことか。

ブルーの客車にゴハチは良く似合うよ。

満員のスキー客を乗せて上野まではもう少し・・。

1979年2月   上越線。