金尾峠から。

通っていた熊谷の高校には県北はゆうに及ばず秩父からも結構な数の生徒が通っていた。ある時、長瀞から来ていた同じクラスの彼から金尾峠越えの道を教わった。バイク乗りの彼は秩父はもちろん寄居に抜ける間道もよく知っていた。

自分は言うと・・「秩父鉄道が見えるじゃん」、てなわけでその後何度となく当時住んでいた大宮からバイクで通うことになったわけです。当時の道は一車線の狭い道で通る車もほとんどなく道路脇に三脚を立てのんびりと撮影が出来ました。もちろんその頃はデキを撮る人はほとんどいなく何時行っても自分だけ・・そんな感じでした。この道路、今は国道140号の長瀞方面への迂回路となり道幅も2車線、トラックや乗用車がひっきりなしに通る幹線道路です。

そしてこの構図ですが現在は手前の木々が伸びまったく見えません。40年も経てば当たり前ですよね。そういえばこのあたり今は近くの金尾山つつじ園からの俯瞰で有名のようですが自分はというとやはり荒川を入れたこの頃の雰囲気がお気に入りでした。

マミヤC220 105mm

1980年11月(たしか11月14は県民の日でお休みでした)   秩父鉄道。

ミヤハマ晩夏。

東北本線にも115系が当たり前だったころ。

夏の終わり秋の気配が忍び寄る。いつもの列車はいつものように駆けてゆく。

普段から自分のテリトリーを大事にして色々な構図で楽しむのも面白いんだけどねぇ。此処東大宮~蓮田は今でも人気の撮影地だが多くの鉄の方々はお立ち台のお決まり構図でしか撮らない輩がほとんどのような気がする。もったいないねぇ・・・。まぁ所詮趣味の問題だと言われればそれまでだが。

撮っておいてよかった115系。

ペンタ6×7 55mm

1982年8月   東北本線。

静かな昼下がりに。

車も人も通ることがない昼下がりだった。

僅かな記憶を辿るとそこには確かに雁木があったはずだし。そして店の奥から聞こえる話し声は懐かしい訛りもあったように・・・。

たまに想い出すんだよね・・・。

夏の日の灼けたコールタールの匂い。そして一階が埋まるほどの路地裏の雪に遠回りして迷子になりかけたこと。

そうそう機神さまの広場での草野球、おじいさんと行ったカレーショップも・・・。

2010年9月   見附市街。

夕暮れの横川駅。

軽井沢から降りてきて横川駅で今日最後の撮影。

上の写真は雑客の各駅停車。高崎から2326ㇾになる列車のようだ。菱形パンタ6つは何ともカッコイイ。下の写真は貨物を押し上げるロクサン、先頭にはロクニ。そして機回しするロクサン。

初めて横軽を訪れた訳だが開けた場所での撮影が叶わない線区なんだなぁと思った。当たり前だが最短距離で66.7‰を行き来するのだから一切の無駄を省いたその線形はトンネルと鉄橋の連続で本当に厳しいところだと実感した。

1979年4月   信越本線。

浅間と離山とロクサンと矢ケ崎変電所跡。

初めての軽井沢はそれまでに行ったどこでもなかった。それが第一印象。

旧18号で峠を越すといきなり広がる景色、普通は峠を越すとそこからまた長い下り坂があるものと思っていた。しかし軽井沢は違っていた。いきなりまさに高原という言葉がぴったりの雄大な景色が待っていた。

もちろん外国などには行ったこともない自分だが日本離れした景色というのはこうゆうものかとひどく感心したのを覚えている。

アプト遺構の変電所も残っていてそこへロクサンに牽かれる電車。なるほど急勾配がもたらす意味が少しわかったような気がした。

昨日女房とアウトレットに行ったのだが帰りしなにこの撮影地を見てきた。手前には新幹線の重厚なコンクリート、目を凝らすと奥には旧線の路盤と架線が見えた。しかし矢ケ崎の変電所は跡形もなく更地になっていた。アプト遺構の丸山変電所は鉄道遺産として再建されたがこちらはものの見事に無くなってしまうとは。新幹線建設おそるべし。

昨日はそれから北軽井沢に行き浅間牧場でアイスクリーム食べて草軽の痕跡を眺めつつ浅間大滝へそして二度上峠から倉渕、高崎を経由して藤岡から関越に乗って帰ってきました。

軽井沢の空気をまた吸いに行きたいなぁ。

1979年4月   信越本線。

XL250Rの頃。

19歳の頃。

見聞走と名付けた内輪のツーリングクラブの一コマ。

ソロツーリングにおいての顛末をその後の集まりのうえで話すのが趣旨だったように思う少し変わった集まりだった。もちろんたまには一緒にツーリングに行ったのだが基本はソロ。

もちろんこの時もソロ。午後に自宅大宮を出て17号から18号、上田の別所線無人駅で野宿。翌日は菅の沢林道から菅平そして中野へ下りてカヤノ平から奥志賀林道へそこから雑魚川林道。上の1枚目の写真は雑魚川林道途中の雪渓。

そして秋山郷から津南そして353で十二峠経由魚沼スカイライン。で2番目の写真。

この後台風に会って会越国境の林道に行くことなく足止めを食らい17号を帰ってきた。

見聞走という名のツーリングクラブは未だ健在!。

形は少し変えたけど趣旨と心意気は何ら変わらず生きている。そう・・・昨日もお互いの生きざまを報告しあったっけ・・・。

1982年   雑魚川林道。魚沼スカイライン。

緑濃くなり。

山道を登ってきた木陰には薫風かおる涼風。

その濃くなる緑とは対照に風がさわやかに感じられるのは今日は湿度が低いからなのだろう。

この辺りは新田と名の付くところが多い。地図を見るとため池の多いことでも分かるが山間地の割合高いところまで田んぼマークがある。俯瞰撮影に行くとそういったところのあちこちに耕作放棄となった休耕田を見ることがある。特に耕作を止めて数年であろうと思われる休耕田のなんと多いことか。

新田はやがて緑濃い山に帰ってゆくのか・・。新田だったのに・・・。

2020年6月10日   只見線。

春から夏へ・・。

田植えが終わり青稲がすくすく育つ頃。田植えをした順番が分かるだろう。その微妙な配色がなんとも言えないグラデーションとなって季節を演じている。

もう少しすると一面の緑になるのだろう。そしてやがて迎えるであろう黄金の季節へ。そうしたらまた真っ白な季節へも。

繰り返し繰り返しこの地で生きていく限り。

2020年6月10日   只見線。

只見川に沿って。

瀬からトロ場へと向かう此処。木から落ちた少し大きめの昆虫・・蝉のようだが・・。暫くすると魚が飛び出してきた。

波紋が落ち着くと何事もなかったかのようにまた深いトロの色に戻ってしまった。

キハがエンジンの唸りを上げて鉄橋を渡り通り過ぎて行く。

そしてまた何事もなかったかのように深い緑色を残して。

ミソサザイだろうか・・・初夏から夏への季節の移り変わりを歌っているかのような忙しい声を後にして岸辺へと戻った。

2020年6月10日   只見線。