もう少しだけ石打の夜に・・・。

沢山の列車たちをこの夜も見送った。

来る列車は終着駅ではない限り当たり前だがずうっと其処にはいないわけで、もちろん終着駅と言えども次の列車が来る前に折り返したり車両基地に行ったりするわけだが・・。

石打は上州と越後の脊梁を結ぶ片方の基地であるからその峠道を往ったり来たりしている機関車たちが列車の先頭に立つ。もちろん彼らは本当の意味での終着駅を知ることは無い。

言い方を変えると土着の機関車たち・・・。

勾配用に作られた彼らだから当たり前と言えば当たり前だが、彼らの仕事場はいつも峠道だった。

ある時その機関車に乗せてもらった、石打から水上そして石打へと。つまり一往復峠道の先頭に立ったのだ。機関助手よろしく砂撒きやホイッスルを鳴らしたことは忘れない。縦揺れ横揺れガタゴトガタゴト、カモシカ君やウサギさんにごあいさつ。機関士は同僚たる機関車に語り掛けノッチを握り、トンネル抜けて鉄橋をゴウゴウ渡りホイッスルでもう一台の機関と合図を交わす峠道。

そう土着の機関車を相棒にして昼も夜もガタゴトガタゴト、ゴウゴウ、ガタゴト・・・。

そして今日の夜にこだまするホイッスル・・・。まぶたの裏側の景色に・・・。

1979年3月   上越線。

「もう少しだけ石打の夜に・・・。」への3件のフィードバック

  1. ぼくは北海道の白糠線で。そして連絡船「檜山丸」で…。

    運転士も甲板長もなぜか「乗んなさい」とは言わず、「乗るか?」と尋ねてくれた。「イヤイヤ、結構です」なんて答えるワケないのに。

    そんな記憶が乗務員室や操舵室で見聞きしたことよりも鮮明だったりします。

    若僧にも対等でありたかったのでしょうかね。

    1. その通りですね。
      「乗ってくかい」でした。

      今だったらいろんな意味であり得ないでしょう・・。働く人と写真を撮らせて頂く人が共存出来た時代だったのかもしれませんね。

      ブログリンク変更させて頂きました。

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