宮浜再び。

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通称、牛田の屋敷森。

 

やってきたのは各停。

三月の日差しと、名残の北風の青空。

 

花粉症になって、はや26年。

あの頃は、もちろん花粉症じゃなかったし、もっと3月を嗅いでいたはず。

 

屋敷森の後の定番ポイントには鉄が居た。平日だというのに。

 

 

2009年3月2日。 東大宮~蓮田。

 

EF57・宮浜・48レ。

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48レを牽くゴナナ。

 

白Hゴムの11番。

屋敷森をバックに颯爽と通り過ぎてゆく。

 

当時、宮浜でよく会う者同士で、何番のゴナナが好きかと話した折

「11番!」と言っていた小学生の彼。

その後、「レッドウォーリアーズ」のメンバーになった彼。

 

つい先日、大宮で「レッズ」のライブがあり、28年ぶりに再会を果たした。

数年前より、彼は北海道は塘路湖の近くでペンション「塘路の宿」を経営している。

 

 

 

塘路の宿 HP http://www9.plala.or.jp/touro/

 

 1976年3月 東大宮~蓮田。

 

EF57・125レ・宮浜。

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デッキに人が乗っている。

 

この頃、東北線の客車列車にゴナナが充当すると、客車が満員でないにも関わらず

デッキに乗る輩が居た。

撮影する側としては当時は邪魔な存在だったが、今となってはなんとも勇気がいる

そして素晴らしい時代であったか。

今の時代であれば鉄道警察隊や学校のPTA問題にもなりえる事であったろう。

 

国鉄からJRになった今にち、デッキに乗っていた彼ら彼女らは古き良き思い出として

あのときの情景を思い出すことがあるのだろうか。

 

去来する想いが、撮る側と撮られた側で時代を超えて交わりあうのだろうか。

 

 

今の時代。どうか振動に振り落とされぬよう。

お互いに・・・。

 

 

1976年3月                                                                         東大宮~蓮田。

とき・181系・大宮駅。

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大宮駅4番線に停車する「とき」。

 

151系からの改造車であるのは、彼のタイフォンの形状からも明らかだ。

スカートこそ短くなってしまったが、「こだま型」を引き継ぐ正真正銘、正統派ボンネット特急。

 

ヘッドマークと、サボ。

「とき」のヘッドマークには国鉄唯一、漢字のフリガナが使われていたのも懐かしい。

 

1976年3月 大宮駅。

1976年5月 大宮駅。

EF57・大宮駅・荷48レ。

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天気が良くなかった日だと記憶している。

それにしても三脚を使っているのに、絞りが浅い。

ピンの置き方も・・・。

つまり、被写界深度の意味が解っていなかったのだ。

 

案の定、現像したネガを見た兄貴から、駄目出しをもらったのを覚えている。

 

重連だったのに・・・。

それにしても、駅のホームには誰もいない。

 

1976年3月 大宮駅。

白根・宮原で。

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宮原駅の北、新興住宅が建ち始めた頃のこと。

整地され、まもなく住宅に変わってゆく雑草が生い茂るところ。

下の道路に自転車を止めて上に上がってきた。

天気は今ひとつ。

「白根」がやってきた。

157系の終焉と地域の変貌がリンクする。

その後、御用邸を行き来したクロを挟む157を何度か見送ったが、営業運転の157を

見たのはこの年が最後だったように思う。

1975年8月宮原~上尾。

EF57・宮浜川と元荒川鉄橋。

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兄  「茶色いかっこいい機関車がいるんだ」

弟  「どこに」

兄  「東北線のEF57って言うんだ」

弟  「へぇー」

兄  「来週、蓮田っていう所に撮影にいくぞお前も行くか」

弟  「うん・・・」。

このときから自分の写真の世界が始まったといっても過言ではない。

午前中、家から10キロほどのところにある宮浜川へ。正確には、見沼代用水東べり。

大宮市近郊には河川が河川を跨ぐ珍しい構造の場所が何ヶ所があり、そのひとつ綾瀬川が

宮浜川を跨ぐ。まさに此処東大宮駅と蓮田駅のあいだにそれはあるのだ。

今でこそ、東大宮~蓮田間とのことを「ヒガハス」などと呼ばれているようだが、当時「ミヤハマ」と言うのが、一般名称だった。現に東北線が跨ぐ宮浜川の河川道路はには「宮浜川踏切」と明記されていたのだから。

上りの列車を待っていると一本の列車が来て初めてゴナナを撮った。

程なくすると、トラックで来ている年配のおじさんが、

「午後にゴナナの重連が来る」

「これから元荒川の鉄橋に行くんだが、自転車を後ろに乗せてあげるから一緒に行くかい」

「え・えぇ・・はい・・・」。

兄と自分はトラックの荷台に自転車を載せてもらい、此処元荒川の鉄橋にやってきた。

先台車と動輪の刻むスピード感あるステップを刻み確かにゴナナの重連は来た。

はみ出したかぁ・・・。

そのあと幾本かの列車を撮り、今度は14キロほどの道のりを兄と二人、家路に向かい自転車を漕いだ。

はたして現像から上がったネガにはしっかりとゴナナの重連は写っていた。

「かっこいい」「かっこいい」「かっこいい・・・・・」。

小学校6年生。もうすぐ中学に上がろうとする冬の出来事だった。

1975年1月宮浜川。(東大宮~蓮田)

元荒川。(蓮田~白岡)

日鉄羽鶴・1080。

葛生から行きも帰りも歩いた。

 

途中、鉄橋がありレールの真ん中に板が渡してあるだけの・・・。

兄が中学生自分が小学6年生、兄はともかく自分は恐怖でいっぱい。

肝心の走行写真はカメラの裏蓋を開けてしまい大失敗。

 

帰りに葛生の駅前の自動販売機に販売地域限定のため当時埼玉に無かった

ドクターペッパーが売っていたのを覚えている。

但し、飲んだのか飲まなかったのか思い出せない。

 

現役蒸気機関初で最後の撮影。

 

次回はいよいよ東北本線EF57。撮影初期の写真です。

 

1974年5月。日鉄羽鶴。