40年前の1月。

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再掲となりますがちょうど40年前となりましたのでアップしてみました。

 

構図はどうあれゴナナの重連です。4パンです。

 

 

少し前、兄貴と話していたらこの時のことが話題に出たので・・・。

ちなみにこのカット、兄貴は手前で切っていて満足のいく結果でなかったようで翌週撮り直しているとのことでした。

 

何はともあれ小学校6年生だった自分が此処にはいます・・・。

 

 

ペトリ7、ネオパンSSでした。その後このペトリはレンズシャッターの中間速で撮影し壊してしまいました。

 

 

 

1975年1月              東北本線   蓮田~白岡。

元荒川とEF56。

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なんで今ごろと。

 

EF56はゴナナの先輩?。

お爺さんに見えたあのプロフィール。

   大宮駅で待っていると昼の荷41でSGを噴いていた・・・。

 

この2月から順を追ってモノクロ35mmを紹介してきたのだが、今日はEF56のカットへ逆戻り。

 

 

大宮駅の9番線を歩いていたら思い出したので・・失礼。

 

 

1975年1月    蓮田~白岡。

 

白根・宮原で。

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宮原駅の北、新興住宅が建ち始めた頃のこと。

整地され、まもなく住宅に変わってゆく雑草が生い茂るところ。

下の道路に自転車を止めて上に上がってきた。

天気は今ひとつ。

「白根」がやってきた。

157系の終焉と地域の変貌がリンクする。

その後、御用邸を行き来したクロを挟む157を何度か見送ったが、営業運転の157を

見たのはこの年が最後だったように思う。

1975年8月宮原~上尾。

EF57・宮浜川と元荒川鉄橋。

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兄  「茶色いかっこいい機関車がいるんだ」

弟  「どこに」

兄  「東北線のEF57って言うんだ」

弟  「へぇー」

兄  「来週、蓮田っていう所に撮影にいくぞお前も行くか」

弟  「うん・・・」。

このときから自分の写真の世界が始まったといっても過言ではない。

午前中、家から10キロほどのところにある宮浜川へ。正確には、見沼代用水東べり。

大宮市近郊には河川が河川を跨ぐ珍しい構造の場所が何ヶ所があり、そのひとつ綾瀬川が

宮浜川を跨ぐ。まさに此処東大宮駅と蓮田駅のあいだにそれはあるのだ。

今でこそ、東大宮~蓮田間とのことを「ヒガハス」などと呼ばれているようだが、当時「ミヤハマ」と言うのが、一般名称だった。現に東北線が跨ぐ宮浜川の河川道路はには「宮浜川踏切」と明記されていたのだから。

上りの列車を待っていると一本の列車が来て初めてゴナナを撮った。

程なくすると、トラックで来ている年配のおじさんが、

「午後にゴナナの重連が来る」

「これから元荒川の鉄橋に行くんだが、自転車を後ろに乗せてあげるから一緒に行くかい」

「え・えぇ・・はい・・・」。

兄と自分はトラックの荷台に自転車を載せてもらい、此処元荒川の鉄橋にやってきた。

先台車と動輪の刻むスピード感あるステップを刻み確かにゴナナの重連は来た。

はみ出したかぁ・・・。

そのあと幾本かの列車を撮り、今度は14キロほどの道のりを兄と二人、家路に向かい自転車を漕いだ。

はたして現像から上がったネガにはしっかりとゴナナの重連は写っていた。

「かっこいい」「かっこいい」「かっこいい・・・・・」。

小学校6年生。もうすぐ中学に上がろうとする冬の出来事だった。

1975年1月宮浜川。(東大宮~蓮田)

元荒川。(蓮田~白岡)

大宮駅・DCつばさ。

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以前も、ちょっと昔の写真を紹介したことが幾つかありました。

 

不定期ですが年度を追って35mmモノクロ写真を順次紹介してゆきます。

 

断っておきますが、すでにある時期から鉄道写真からは一歩退いております。

理由は幾つかあるのですが、ひとつには、魅力ある車両がなくなってしまったこと。

そして撮影地等を取り巻く環境の変化です。

 

そうは言っても、やっぱり鉄道が好き。

釣りに行っても、山に行っても、途中に線路があればドキドキする。

原点は、「 鉄 」です。

 

 

 

大宮駅に侵入するDC時代の「つばさ」

75年10月。