武蔵野の風景とは、霜柱とからっかぜの中で宮浜にいるということ。
霜柱が解けて靴に泥がつき、そこいらの枯れ枝を拾って泥をぬぐう。
なけなしのお金で温かい飲み物を買う。
手袋をはめて自転車を漕いでさぁ次のポイントまでひとっ走り。
1979年1月 東大宮~蓮田。
武蔵野の風景とは、霜柱とからっかぜの中で宮浜にいるということ。
霜柱が解けて靴に泥がつき、そこいらの枯れ枝を拾って泥をぬぐう。
なけなしのお金で温かい飲み物を買う。
手袋をはめて自転車を漕いでさぁ次のポイントまでひとっ走り。
1979年1月 東大宮~蓮田。
杉木立の中は枯れ草と茶色くなった杉の葉のにおい。
雪が降ると、たくさんの葉っぱは細い枝と共に雪の重みに耐え切れずに、
杉の木の下の雪の上をまた茶色くする。
もうすぐそんな季節。
過ぎ行く季節に戸惑いを感じ、来る季節に思いを馳せるのはいつものこと。
いよいよ天気予報に雪マークが出た。
2009年12月10日 岩原スキー場前~越後中里。
師走にはもう少し時間がある頃。
この夜は自分ひとり。
たまに酔っ払いのおじさんが何事かと近くまで来ることはあっても、一瞥されてただそれっきり。
電車を待ってる少女のスカートの長さが時代をものがたる。
良い夜だったな。
静かで。
駅のアナウンスが今にも聞こえてきそう。
1978年12月 大宮駅。
宇都宮から北の東北線を当時「ローカル」と呼んでいた。
雑客が無くなってからの訪問だった。
蒲須坂の鉄橋・・・。
どうも利根川水系と違い那珂川水系には縁が無かったようで
ピンとこない鉄橋だった。
1978年10月 蒲須坂~片岡。
きのうの夜は山では雪になったようだ。
川は静かに流れる。
河原には犬の散歩で傘を差している人が通り過ぎる。
タイフォンをひとつ鳴らしたけど、川音に吸い込まれてしまった。
2009年12月11日 小出~越後堀之内。
もうすぐあの景色。
冬色は真っ白になるということ。
冬枯れが愛おしい。
今日はまだ雨。
2009年12月11日 岩原スキー場前~越後中里。
夕暮れを前に名残のすすきの向こうに列車が行く。
手を合わせ慈しみを持って、やがて来る夜を前に、今日一日が安堵できたかと
語りかけていらっしゃる。
「はい、おかげさまで」 と頷く自分は、頭を垂れ合掌。
足元を冷たい風が通り過ぎる。
2009年12月6日 越後湯沢~石打。
よく見ると白い上着で半ズボンの少年がデッキから身を乗り出している。
東北線の普通列車から客車が無くなる頃。
たぶん彼も鉄道ファンだったのだろう。
すれ違いざまに顔を見た気もするのだけれど、それは思い出せない。
まだ彼は鉄道ファンだろうか。
たとえ止めてしまっていたとしても、デッキに乗ったことは覚えているに違いない。
大宮駅でカメラを構えていた、ちょっと上のお兄さんは、今年、鉄道ファンに帰ってきたよ。
誰だかわからないが
「こんにちは」「元気かい」。
1978年10月 大宮駅。
ダイヤ改正前の一時、よく上野駅に行った。
あの頃の特急は正真正銘まさに花形だった。
高校生になったあの頃、デートの待ち合わせは駅のホーム。
「7番線の赤羽寄りのベンチで・・・」
「・・・・・」
せっかくエナメルの靴に鋲を打って、髪形も決めて、櫛まで胸ポケットに忍ばせていったのに・・・。
まぁフラれて、結局電車の写真を撮りに行っただけ。そんなこともあったっけ。
1978年9月 上野駅。
上野駅では手作業によるヘッドマークやサボの交換が毎日忙しく行われていた。
無造作に置かれている「やまばと」。
まさにボンネットの「看板」そのもの。
昨今の駅構内撮影における、一部のファンによる罵声などまったく無い長閑な時代。
時代が変わったとはいえ、当たり前すら変わってしまってよいものかと思う。
つまり撮らせて頂いているわけで、ファンのために列車はあるわけではない。
列車は乗る人の為にあるのが第一であって、それを撮る者は、ある意味、傍観者である。
小さい頃、列車に向かって手を振ったあの頃の想いが、鉄道写真の原点であること
忘れたくない。
1978年9月 上野駅。