もう一つの秩父。

かつての秩父の姿を語るうえで養蚕は外せない。

小正月の繭玉に込めた思いをしてもどれだけ蚕を大切にしていたかわかる。その蚕の食べる桑の葉ももちろん大切にしてきた。

今は随分とその桑畑も減ってしまった。産業の移り変わりと言えばそれまでだが・・・。

聖なるお山武甲山は自らの体を削り秩父の民に生きる糧をあたえて今に至る。そして削られた体の一つ一つを小さな機関車は都市へと運んでいる。

たぶんこれからもずぅっと・・・。

1979年1月   秩父鉄道。

和銅大橋。

まだバイパスもないころ。蓑山にトンネルが通るとは夢にも思わない時代。140号線の黒谷を過ぎると川向うに至る新しい橋が出来たようだ。そして其の橋から見える秩父鉄道の鉄橋。

出来たばかりの橋の上から写真を何枚か撮ると河原へ降りてみたくなり、更には浅瀬を伝い右岸へ。見上げる鉄橋は夕陽に照らされていた。

帰りしなの水が冷たかったこと。更にはバイクに乗り薄暗い電球で照らされた道を帰ってきたんだっけ。

1978年11月   秩父鉄道。

冬の秩父の色。

冬が来ると秩父の景色を想い出す。

遠く西の空に奥武蔵の低山を望み頭一つ抜きんでた武甲山を確認する。更に向こうには両神山から連なる武信国境の山々。

バイクに機材を積んて゛その山懐である秩父の盆地へと足を踏み入れると、関東とは違うキンとした空気に触れることができる。

其の余韻は、今も昔も変わらない。

1979年1月   秩父鉄道。