もう一つの秩父。

かつての秩父の姿を語るうえで養蚕は外せない。

小正月の繭玉に込めた思いをしてもどれだけ蚕を大切にしていたかわかる。その蚕の食べる桑の葉ももちろん大切にしてきた。

今は随分とその桑畑も減ってしまった。産業の移り変わりと言えばそれまでだが・・・。

聖なるお山武甲山は自らの体を削り秩父の民に生きる糧をあたえて今に至る。そして削られた体の一つ一つを小さな機関車は都市へと運んでいる。

たぶんこれからもずぅっと・・・。

1979年1月   秩父鉄道。

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