武蔵野のオクリ。
オクリとは、どん詰まり、奥という意味。
県北の方言かと。
関東平野が終わり奥武蔵の丘陵地帯に入ってゆく
そんな里山の自然が残るオクリです。
田んぼに水が入ったら・・・
萌黄の頃・・・。
想像するだけでワクワクする。
2013年1月29日 東武東上線 武蔵嵐山~小川町。
武蔵野のオクリ。
オクリとは、どん詰まり、奥という意味。
県北の方言かと。
関東平野が終わり奥武蔵の丘陵地帯に入ってゆく
そんな里山の自然が残るオクリです。
田んぼに水が入ったら・・・
萌黄の頃・・・。
想像するだけでワクワクする。
2013年1月29日 東武東上線 武蔵嵐山~小川町。
陽だまりはなんて素敵なんだろう。
いちにち居てもいいね。
2013年1月29日 秩父鉄道 波久礼駅。
夕日に追い立てられるようにいつもの路を。
ひばり・・・、L特急だったよね
あんまりにも沢山来るので、意識してなかったなぁ。
本音を言うと181系こそが151系から続く由緒正しきボンネットで、485系はスカートの色や形状タイフォンの位置さらに
ライトはシールドビーム、又、正面のヒゲと言い、正直181系に比べると遜色を感じた。
此処まで言うと諸氏に怒られるかもしれないが、高崎線上越線の電車が自分の記憶の刷り込みなのだからしょうがない。
でも、そうは言ってもこの時代の車輌たちは、今の電車の様に妙に戦闘的でカラーも意味不明の車輌から比較すると
秀逸であることは間違いない。
まぁもっとも、今の車輌で育てばそれが刷り込みとなるのだろうが・・・。
1981年1月
東北線 古河~栗橋。
陽が落ちての僅かな時間。
蒼い色が好き。
小学生の頃、写生で使う絵の具は、青、茶、黒が真っ先に無くなった。
2013年1月24日 長野県 菅平。
日陰に残る雪。
川風に吹かれ凍てつき飛ぶことは出来ない。
荒川の流れは底の景色を見せる。
2013年1月20日 秩父鉄道 樋口~波久礼。
西の空がため息をつく。
一日の終わりに。
やがて、遠くの山のスカイラインをも飲み込む漆黒の闇が訪れる。
家族の待つ、恋人の待つ・・・、それぞれの処へ。
星が煌きだした。
手がかじかむ。
さぁ、僕も帰ろう・・・。
2013年1月18日 東武東上線 高坂~東松山。
つくばねかばんだいか・・・。
455系の急行群華やかなりし頃。
本命で撮ったことは一度も無いような気がする。
485、165、115と共にいつでも日常見ることが出来た彼ら。
今や無くなってしまったもの、風前の灯のもの・・・。
シャッター切っておいて良かったなぁ。
それと、去年はモノクロアーカイブが滞ってしまいましたが、やっと1981年の取り込みが完了しました。
ネガを見ていると本当に懐かしい思い出が蘇ってきます。
ただ、この頃はブローニがメインでモノクロが少なくなってきた頃でもあります。常にスリックプレートの二丁切りを
していたわけではないのが悔やまれるネガ探しでした。
1981年1月 東北線 古河~栗橋。
ふらりとやって来た。
今日は運休も無く次から次へとデキがやってくる。
広角で狙ってみた。
力強くデキが武甲山の石灰石を積んだ貨車を引っ張り工場へと向かってゆく。
2012年1月17日 秩父鉄道 三ヶ尻~武川。
性懲りも無く、日没間近まで粘ってこの一枚。
さぁ帰ろう。
で結局、兄貴の家に着いて疲れたしそれに今日の撮影の話も色々したかったので
一杯飲んで泊まってしまいました。
今日一日有難うね。又連れて行ってください。
弟より。
2013年1月13日 東武日光線 栗橋~新古河。
ゴナナがなくなると、東武の5700系を追いかけていたこともあった兄貴。
自分も数回5700やらED50、荷物電車を撮りに行った。
しかし、ろくな写真は無く、さらに記憶も曖昧・・・。
ここでも当時の撮影秘話なんか聞かせてもらった。
ある意味僕は沈黙・・・。
考えてみると自分のカテゴリーは狭いなぁ。
まぁ、たまに兄貴より良い写真を撮れたりすると有頂天になるのは今も昔もおんなじだけどね・・・。
2013年1月13日
東武日光線 新古河~栗橋。