会津と越後。

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雪の中、列車が交換する。

 

 

その昔、六十里や八十里の峠越え、また阿賀野川の水運で人や物の行き来があったのが

越後と会津。

今の魚沼地方の小出や、蒲原地方の津川は会津藩領であったことはあまり知られていない。

また、戊辰戦争の折、長岡藩家老河井継ノ助が最後に目指したのも会津の地だった。

 

会津鉄道の車両は新潟トランシス(旧新潟鐵工)製。

越後の車両が会津で活躍する。

 

雪深いこの地で、ディーゼルエンジンの音がカラコロと、麻糸を紡ぐように繋がっている。

 

 

2010年1月2日               芦ノ牧温泉駅。

 

水上の鉄橋で3重連。

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来た来た・・・。

あっもう一両付いてる。

 

パンタは上がっているか・・うーん残念。

 

いわゆる死荷重回送。

それでもめったに見ることが出来ない貴重なひとコマ。

 

同時に切ったリバーサルは露出オーバー。

2丁切りしておいてよかったなぁ。

 

 

1979年2月        水上~湯檜曽。

 

米福型。

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米沢から福島だから米福型と言うらしい。

もちろんその時代のことは知らない。

奥羽本線が直流?。

今では新幹線規格になってしまい、その前は狭軌の交流だったから、その前のことだ。

 

幸い豪雪地の勾配用という事で、その後、ここ水上機関区と長岡機関区に集中配備され

晩年を送ったのだ。

 

中でもヘッドライトや乗務員出入り口の上のヒサシが付いているものは一際異彩を放ち

人気を博した。

 

 

1979年2月                   水上機関区。