通称「ダンプ道路」。
今ならば見附のツタヤから大平公園へ行く道といったら分かりやすいかな。
当時は道路が出来てすぐの頃で、一般車より何かの開発のための道路だったのか
やたらとダンプが行き来していた。
この頃のローカルは編成も長く絵になった。
クハ75やクハ68もいて、70系の天下といったところで沢山の列車を撮ることが出来た。
残雪の山々、区画整理されていない田んぼ、はんの木もあり、一日いても飽きないところだった。
当ブログ記事の9月11日の写真はまさに此処。(一枚目写真の左から撮ったもの)
1978年3月 見附~帯織。