春休み。
中学を卒業し高校へ上がる前の一番楽しい時間。
さぁ何処へ行こう。
181や70系!。そう春まだ浅き越後へ行こう。
記憶に無いのだが、どうやら始発から乗るために上野へ行った様だ。
とりあえず181「とき」から・・・。
1978年3月 上野駅。
春休み。
中学を卒業し高校へ上がる前の一番楽しい時間。
さぁ何処へ行こう。
181や70系!。そう春まだ浅き越後へ行こう。
記憶に無いのだが、どうやら始発から乗るために上野へ行った様だ。
とりあえず181「とき」から・・・。
1978年3月 上野駅。
夕暮れ時、名残の陽射しが柿の木に。
いつもより列車が早足なのは気のせい。
カラスが食べないところを見ると渋柿かな。
2009年10月12日 見附~帯織。
秋の日はつるべおとし。
あの夏の日にはまだ太陽が西に傾きはすれ、夕方の訪れの中それでも輝いていた。
四季の移り変わりといってしまえばそれまでだが、やっぱり秋は心が震える。
震えた心は、沈丁花のにほいと共に、初恋の頃を思い出す。
彼女と帰った道すがら、自転車のライトの発電機をヒュンヒュン鳴らして・・・。
ススキの穂・・・雑木林を通り過ぎ・・・。
2009年10月16日 岩原スキー場前~越後中里。
残照の中、国境の停車場に風が吹く。
鉄の擦れた匂いが通り過ぎる。
無人となった駅の待合室には、国境を越え茂倉新道を降りてきた登山者がひとり。
「良い山でしたと」満足そうに今日の一日を振り返り余韻に浸っていた。
眼をつむった彼のなか、念想はまだ山を駆け廻っているかのようだった。
「良い山旅を・・・さようなら」
さぁ、カメラを片付け、野宿でひとり一杯やろう。
2009年10月16日 土樽駅。
大好き181。
他のロングスカートが次々廃車になったこの頃、65番が来るとうれしかった。
ここ大成橋界隈は今では新幹線が出来て風景は一変した。
春の日差しがなつかしいなぁ。
1978年3月 大宮~宮原。
カモメの休日。
あぁぁ佐渡へえぇへ。
哀愁の調べと共に、あの時代佐渡へ渡ったのは何時の季節だったのか。
まさか真冬の怒涛に船は漕ぎ出さなかったであろう。
今日、信濃川をゆるりとすべり日本海は越佐海峡へと船が出る。
人力に頼り漕ぎ出した日は過去の昔。
かつて流人の島と呼ばれたその島には、今、朱鷺がいる。
ニッポニアニッポンと名づけられた所以は忘れ去られ、今、朱鷺は内地を目指し、
力強くまた飛び立つ。
そんなかたわら、北海道へ飛び立つカモメは今日はお休み。
越佐のカモメが行って来るねと。
2009年10月13日 佐渡汽船新潟出航。
夕方の風は冷たくなって、薄着の肩が少し寒い。
自分もライトを点けて帰んなきゃハンドル捌いて。
「お帰りなさい」に向かって。
2009年10月12日 帯織~東光寺。
たくさんのポイントを渡って列車は終着駅を目指す。
分岐点をも過ぎ、いつしか最後の停車駅に止まるまで。
線路が曲がれば車体を傾け、鉄橋はゴウゴウ渡り、踏み切りのカンカンを一瞬に通り過ぎ
トンネルではライトを光らせ。
敷かれたレールをものともせず、ただただ真っ直ぐに前に進む。
行こうよ、次の駅へ。
2009年10月4日 長岡駅。
クロ151-10。
由緒ある正統派こだま型。
クロハを経てクハ181-65となってもロングスカートのまま、その精悍で端正な顔立ちは
最後まで残った旧151系の中で群を抜いていた。
やっぱりかっこいいねぇ。
1978年3月 大宮~宮原。
「とき」は一晩を関東の寒空の下を過ごし、再び暗澹たる地へと赴く。
関東の冬のからっかぜをものともせず、畑地を疾走し、大河を渡り、分水嶺の脊梁をくぐり
そして雪道へと向かう。幾度と無く繰り返す彼の勇気に「行ってらっしゃい」と手を振ろう。
かつてヒーローだったウルトラマンのエネルギー源は太陽光だった。
そう、こんな冬の陽の下でも。
1978年2月 大宮~宮原。