遠足はハレの日。
此処には約8名の同業者。
和やかな雰囲気の中、会話をする。
あっ来た来た!「とき」がやってきた。
いくつものシャッター音の中撮影するのは久しぶり。
たまにはそんな楽しみがあっても良いものだ。
やっぱり「とき」はかっこいい!。
ボンネットの「とき」を見たのは1982年以来、実に28年ぶりのことだった。
2010年3月14日 越後中里~岩原スキー場前。
遠足はハレの日。
此処には約8名の同業者。
和やかな雰囲気の中、会話をする。
あっ来た来た!「とき」がやってきた。
いくつものシャッター音の中撮影するのは久しぶり。
たまにはそんな楽しみがあっても良いものだ。
やっぱり「とき」はかっこいい!。
ボンネットの「とき」を見たのは1982年以来、実に28年ぶりのことだった。
2010年3月14日 越後中里~岩原スキー場前。
明日、489の「とき」が走るらしい。
そう、ボンネット。
489・・485・・・・・。
181ではないけれど、今、この時分になって、緊張するのはなぜだろう。
ちょうど遠足に行く前の晩のよう。
C220のファインダースクリーンには雪の結晶が降って来る。
雪煙・・・まぼろし・・・。
明日は「いわっぱら」かなぁ。
1980年12月 岩原スキー場前~越後湯沢。 マミヤC220にて。
通学列車。
そう、高校に通うのに、当時、数少ない下り列車。
2321レ。
宮原を、朝の6時45分頃に熊谷に向けて出発する。
45分頃・・・。すでに若干の遅れで出発するこの列車は、すぐに上尾で特急と急行に抜かれる。
客車2枚ドアのために乗降の時間が掛かり熊谷到着は定時に着いたことなど3年間で数えるほど。
ホームを行き過ぎて停車する、暖房は故障する・・・。
今だったら考えられないぐらいの正に「鈍行」。
1979年5月 高崎線。
粒子が粗れている。
ネオパンSSS。コントラストは付くが濃いめのネガにするとこの有様。
普段はトライXなのだが・・・。
この前の年から、リバーサルを撮り始めた。
キャノンAE-1とEFでモノクロとリバーサルを使い分けていた。
間もなくマミヤのC220がラインナップに加わる頃。
どうしてもサブ的になってしまったモノクロ35mm、それだけに記憶の薄い写真が出てくるのも
事実。しかし、まだまだ続く35mmモノクロアーカイブス。
せっせとスキャンしなくては。
あー眼が疲れる・・・でも楽しい。
青春してたなぁ・・・。
で写真は、今では橋梁架け替えとなった神流川鉄橋。
ヤシオ館の看板が思い出される。
1979年5月 新町~神保原。
489・58・15.
当たり前の風景。
形式写真、7対3構図。
大宮周辺でも、こんな風に撮れたのが今となっては懐かしい。
このあたりは今、鉄道博物館や新幹線、埼京線の付け替えで大きく様変わりしている。
1979年5月 大宮~宮原。
大宮周辺は直流区間。
なので、貨物といえば茶色いEF15は当たり前。
もし、交流区間が地元だったら当然違っていたかも。
こんなすれ違いも、いわば見慣れた風景。
かっこいいぞ。
茶色い電機。
あっ・・・ゴナナのイメージのすりこみ・・・。
1979年5月 大宮~宮原。
今は北上尾の駅のすぐ北側。
当時はこんな景色だった。
越前が重連になる情報が入ると良く通った。
バイクで30分ちょっと。
朝の空気が気持ちよい。
情報源の彼や仲間内で集まって朝から鉄道談議。
しかし結果は重連ということもあり緊張してかタイミングが・・・。
1979年5月 上尾~桶川。
春が近くまで来ている、たぶん。
あと何度かの名残雪が降ることはあっても、すぐに融けるだろう。
出来ればそうあってほしい。
春よ早く早く。
15の頃に嗅いだ懐かしい匂いをつれて来い。
2010年2月24日 見附~帯織。
白い石灰で書かれたスローガン。
危機管理という名を冠した、卑屈な低姿勢と事なかれ主義。お役所仕事然としか対応が出来なくなってしまったのは なぜだろう。
現場での判断が出来ない(させない)、やたら高学歴の頭でっかちしかいなくなってしまったのは なぜだろう。
—–新規採用を何年もせず、世代ギャップをつくり、現場を混乱させ、イエスマン体質の会社になってしまった。—–
気が付いたらJNRも無くなり、NRUも風前のともしび。
春闘・・・。これまた懐かしい響きとなってしまった。
ゴハチもロクニも・・・。
1979年5月 大宮駅。
いつもの朝。
カタカタカタカタッ・・・カタッカタ・カタッカタッ・・・・・。
輝きの後ろには10系寝台、雑客と続く。
宮浜の朝はそうして始まる。
ゴナナじゃないけどね・・・。
1979年4月 蓮田~東大宮。