下りホームは新幹線工事の頃で、ちょうど長岡駅の1番線ホームのようだった。
上りはこれまた、長岡駅に似て、昔の面影が残っていた。
電暖表示灯の無いゴハチが12系を連れてやってきた。
1979年5月 宇都宮駅。
下りホームは新幹線工事の頃で、ちょうど長岡駅の1番線ホームのようだった。
上りはこれまた、長岡駅に似て、昔の面影が残っていた。
電暖表示灯の無いゴハチが12系を連れてやってきた。
1979年5月 宇都宮駅。
ご存知、片岡。
那須連山をバックに583はくつる。
10年以上前、西郷村へ仕事で行った折、久しぶりに訪ねたが、あたりはすっかり
変わっていたのを思い出した。
もちろんその頃は「鉄」休業中だったが。
1979年5月 片岡~矢板。
茂倉新道をたどって矢場の頭そして茂倉岳。
蓬沢をつめて蓬峠。
万太郎沢・・・。
たくさんの岳人がこの道を通って谷川へ向かった。
あるいは遭難の報せを伝えるべく駆け下って来た。
この先の尾根で風を見たのは遠い昔。
風の固まりは、まるで固形物のようだった。
正直怖かった。
目印の竹ざおをザックに挿した3人組が通り過ぎた。
話し声を弾ませて。
どうか無事で。
2010年2月20日 土樽~土合。
右の築堤を駆け下りる姿が見えたかと思うと、鉄橋を控えめなジョイント音を響かせ、
冬の真昼間に貨物が行き過ぎる。
雪原には昨夜の足跡ひとつ。
青空は国境の向こうに続いている。
遠くからスキー場のBGMが風に乗って聞こえてくる。
2010年1月20日 土樽~越後中里。
過ってはゴナナを撮りに来た電基地。
真昼間たくさんの電車たち。
ひょっとしてストのときだったのか・・・。
それとも日常の景色だったのか。
ボンネットは「ひたち」のヘッドマーク。
記憶が無いひとコマ。
1979年4月 東大宮操車場。
「白根」の最後尾がちょうどトンネルに架かっている。
そう、日本一短いトンネルへ。
左の階段を上りここまで上がってきた。
今だったら反則でしょう。
線路も下の国道も、例の八場ダム問題でやがて使われなくなってしまう。
ここは本体ダム堰堤より下流としても付け替えになってしまう。
最近もたまには車で通るのだが電車は撮ってないなぁ
1979年4月 岩島~川原湯。
中学に通っていた頃の通学路途中。
この写真を撮った頃は高校生だったのでふらりとバイクで来たのだろう。
なにせ、当時住んでいた家から、ものの5分。
武蔵野の面影。
雑木林と田んぼ・・・。
懐かしい。
1979年4月 日進~指扇。
峠から列車が下りてきた。
ホームの反対側では売り子の声。
シェルパはすぐに役目を終え機回しに回る。
夕暮れが近づく横川の日常。
1979年4月 横川駅。
秩父鉄道を撮りに行ったのは久しぶり。
高校へ入学し暫らくした頃、長瀞から通っているひとりの友人との話の中で
彼の父親が秩父鉄道の保線の仕事をしていることを知った。
「ダイヤもらえないかなぁ」
「聞いてみるよ」
暫らくすると、原本は無理だけどコピーならいいと返事が返ってきた。
彼の父親が休みの日に合わせて長瀞の自宅まで行き、お礼もそこそこに近所の文房具屋へ行って、平日、休日のダイヤのコピーを取らせてもらった。
旧型電車やデキ、ED38・・・。
バイクに三脚をくくりつけ、カメラバックを背負って、いろんなところに行ったなぁ。
彼の父親が亡くなってずいぶん経つ。
いつもこんな風に一生懸命仕事をしていたのだろう。
「ダイヤ、ありがとうございました」。
2010年2月9日 長瀞駅。
初めて訪れた軽井沢。
どこか日本離れした景観。
風も空気も輝きが違う。
山男いやシェルパが似合うそんなところ。
峠の持つ性格であろうか。
登るだけの峠なんてそれまで経験したことが無かった。
1979年4月 横川~軽井沢。