急行越前、宮原進入。

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モノクロアーカイブ、2ヶ月ほど前に戻ります。

見直しをしていたら、やっぱりと思って。

 

 

ここ宮原駅界隈の写真をよく撮っている方がいます。

ホームページ名、「58&SL写真館」の御方。

宮浜にもよく通っておられているようで、80年代のゴハチの写真も沢山撮られています。

僕より年上の方のようで、現役のSLの写真も沢山紹介しておられます。

 

実は、去年の夏に一度だけ此処宮原でお見受けしました。

ご挨拶も出来なかったけど、ブログでそのときの写真を出していて、ほかに撮影している人は

居なかったので、その方と確信しました。

 

 

不思議な気分ですが、今の世の中、そんな出会いもあるんですね。

誰かが言いました、自分はあなたを知らないけれどあなたは自分を知っている。

 

 

1979年5月                           上尾~宮原。

 

水上の鉄橋が見えた。

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水上の鉄橋を望む。

此処は前まで小さなスキー場があった所。

スキー場といっても小さなロープトゥーだかリフトが1基ある、本当に小さなスキー場。

子供のソリ遊びにもってこい、そんなところだった。

それでも、最盛期には休みになると結構の人出で賑わっていた。

 

10年ぐらい前に閉鎖されて、ここがスキー場だったことなんて、景色を見ても気づかないかも。

あの頃だって、オフシーズンにはゲレンデは畑だったもの。

 

幼稚園に通う息子を連れてきたスキー場。

小さなスキー場。

 

息子は晴れてこの春、高校へ入学する。

 

ゲレンデでソリに乗ったり雪遊びをして、はしゃぐ息子の笑顔がビデオに残っている。

「一緒に見るかい?・・・」。

照れくさいだってよ・・・・・。

 

 

小さかった息子・・・小さなスキー場で・・・。

 

 

2009年12月28日               湯檜曽~水上。

 

新清水トンネルの駅。

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風が吹く。

 

湯檜曽の駅の待合室で寝ていると、通路を伝い風が轟音のようにやってくる。

おちおち寝ていられない。

独りでいると待合室が大きすぎて落ち着かない。

 

そんなあるとき、一の倉沢から降りてきたクライマーと駅の待合室で一晩を共にしたことがあった。

酒が無くなり、夜な夜な近くの酒屋へ行き、利根錦を買ってきて二人して飲んだ。

「店、もう閉まってますよ」

「大丈夫、いつもこうしているから・・・」

店の戸をドンドン叩き、寝ている店の人を起こして、酒を買う。

豪快な山ヤさんだったな。

 

去年の12月、湯檜曽駅が改修されている現場をたまたま見た。

もう、風は吹かないのかなぁ。

 

 

1979年7月                 湯檜曽駅。

 

湯檜曽ループを降りて。

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ループを降りて。

 

小学校の社会の時間で高低差を緩和するのがループと教わったような気がする。

今でも時刻表の路線図にはしっかりとループが記載されている。

案外とアナログなのがうれしい。

 

夏休みの上越線。

もやのかかった湿度の高い夏の日。

せみの声が聞こえてくる。

 

ペットボトルなんて無い頃。

何を飲んでいたのだろう。

 

 

1979年7月                       土合~湯檜曽。

 

はくたか、大成橋。

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毎度おなじみ大成橋。

 

まぁ地元ということで、暇があれば来ていたという感じ。

 

特急、急行、普通、貨物・・・。

まぁ次から次へと。

 

これは「はくたか」。

絵入りになると判りづらいヘッドマークでした。

 

 

1979年5月                     大宮~宮原。

 

とき、絵入りマーク。

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絵入りマークになって久しい。

この頃は既に4往復になっていた181。

100番台と180での運用と記憶している。

 

連結器むき出しの180はちょっと・・・。

100番台が来るとほっとしたものだ。

 

 

ところで此処は何処。

たぶん上尾~桶川ではないかと思うのですが。

間違っていたらごめんなさい。ちなみに判る方いらしたらご教授ください。

 

 

1979年5月                    上尾~桶川。(たぶん)

 

急行「能登」・・・石打の夜。

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1982年11月に上越新幹線が開通する。

 

在来線の栄華を誇った時代が終わろうとしている。

「とき」の全廃をはじめ、昼夜急行の統廃合が間もなく行われる。

能登もダイヤ改正後、信越回りとなり14系となる。

ロクヨンに牽かれるのももう少し。

 

石打駐泊所時代から脈々と国鉄の重要駅として、毎夜ホイッスルの音も高々に、東京と地方を

繋ぐ大切な結び目として機能してきた。

今日も「能登」が金沢から上野を目指す。

そう、裏日本から表へ。

 

上り列車の時代・・・。

高度経済成長を支えた人たち・・・。

 

 

時代が移り今年、ついに能登は定期運転を終了し、季節運転へと移行した。

 

 

——-能登終了に際し、かつての能登を偲び——–

1982年10月の上越線「能登」                  石打駅。   (マミヤプレス6×9)

 

とき、ボンネットでもう一枚。

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湯沢で30分停車があるのでゆっくり移動していつもの場所へ。

 

光線と木の按配からこの場所は好き嫌いがありそう。

個人的には、魚野川の様子と手前の木が好きなのだが・・・。

 

 

シールではない本物の新潟寄りヘッドマークを押さえようと思うと、この時間帯

撮れるところは限られるし、あまりに人の多いところは勘弁だし・・・。

 

 

結局此処は自分ひとり。

悠々と「とき」を見送ることが出来た。

 

また逢えるかなぁ。

 

 

2010年3月14日                越後湯沢~石打。