その昔、秩父往還は波久礼の渡し場で荒川を渡り、さらに風布を抜け釜伏を越え三沢に下るのが一般的であったようだが、戦国時代の金尾山城の要害としての金尾峠も少なからず通行はあったようだ。
明治の末には、荒川沿いの渓谷に片持ち梁のような無理やりというべき道を造った。
武甲山の石灰石採掘のために造られた秩父鉄道の線路はその荒川が一段と狭くなる喉のようなところを恐る恐るくぐってゆく。
樋口に出る少し手前、少しばかり土地が開ける。
金尾峠からそんな集落が見える。
徳川吉宗の時代、寛保二年の七月の大洪水はこのあたり一帯をすべて濁流が飲み込んだそうだ。
樋口には洪水水位磨崖標がある。
目を閉じる・・・・・。
今は長閑な山里。
電車ものんびり走ってゆく。
2011年4月14日 波久礼~樋口。