夏休みも終わろうとしていた8月、渋川の先生のお供で仙台に。
短い時間だったが仙石線や赤い電機の撮影をすることが出来た。
渋川の先生とはこの年の1月に大正橋のたもとでお会いして以来、大変と良くして頂き、
色々なところへ、毎度、先生の車に乗せていただき撮影へ行くようになっていた。
このときは、車両事故関係の技術的な証人と言う事で原告より依頼があり仙台に赴くので、
社会勉強という意味合いもあり、お誘いを頂いたというわけ。
出発の日は日中、吾妻線で撮影をし、夕方、大宮へ戻り、その晩の20系新星で仙台へ。
銀箱に三脚を持って法廷内に入るとき、撮影は出来ませんと、係員から注意を受け(もちろん
そんなつもりはありませんが)粛々と進む裁判に耳を傾けました。
裁判が終わり、依頼主の運転で蔵王のお釜を見に行ったのですが、覚えているのは
お釜の色と、ベンツの後部座席の乗り心地だけというなんとも贅沢な旅でした。
そして翌日、仙石線や東北線小牛田で撮影をして、583ひばりに乗って帰ってきたのでした。
思い出すと、後にも先にも、赤い電機を撮影したのはこの時だけだったなぁ。
あっそう、帰りの583の寝台設備が車両の動揺で、絶えずきしみ音がしていたのも覚えている。
1979年8月 東北線内(たぶん小牛田駅)