県南の大宮へ住んでいて高校進学の選択基準。
1 同じ中学の誰も希望しない学校。
2 電車通学が出来る学校。
3 都心ではなくローカル、出来れば電車の写真を撮るのに都合の良い学校。
ということで選んだのは熊谷。
なんたって、高崎線、秩父線、東武妻沼線の各線が撮影することが出来、尚且つ、上越、両毛、吾妻の各線のアクセスが良い。
決まりです。
当然、地元から通う生徒はいなく先生からも、なぜかと言われた。
願書を取りに行くのも、出しに行くのも、受験もすべて独り。
「からっかぜ」がコートの襟を立てる。
1978年1月 秩父鉄道 熊谷駅。
私は当初、南方面へ行きたくて大宮へ願書の提出をしましたが、受験前に変更して熊谷へ。
入学してしばらくは少年院を思わせる(笑)古い校舎、長い通学時間に辟易していまして、先生はじめ今の仲間と知合わなければず~っと灰色の高校生活だったでしょう。
k3。
少年院は無いだろ。
確かにやばいやつらはたくさんいたが、窓に鉄格子は無かったぞ。
長い通学時間って、通学時間は俺の半分だろ。
まぁ、お互いいい年になってもこうして音信も途切れることなく
いられるのはありがたいことだよ。
僕らの時代はまだまだずぅっと続くのだ。