春の雨上がり、青梅にて。

197703_1_002_2oume.jpg

乗り継いだ先、青梅駅にはクモハ40が待っていた。

 

無骨で正義を貫く父親、そして何よりも昭和の気概を持ち戦後を生き抜いたあの人。

 

 

8月15日は父親の命日。

戦争が激しくなる頃、新潟から東京は大森へ丁稚奉公に出た。

 

あの京浜空襲の中、大八車を牽き奉公先の機械を運び出した。

グラマンのパイロットは機銃掃射を浴びせ、ドブ板に倒れこんだ彼のすぐ脇、

銃弾を機械に貫通させ飛び去った。

 

ドブから這い上がった彼の顔は、汚れていたのではない。

たぶん生きていることに顔を歪め何かしら笑っていたのだろう。

 

生きるか死ぬか。自らの意思において決定できない時代が身近にあった。

 

無骨な茶色の電車を見て8月のあの日を思い出した。

 

 

1977年3月  青梅駅。

 

踏切を渡ってクワガタ取りに行こうか。

2009 08 25__2__2_0711.jpg

杉林を抜けると、いい樹液の出る椚があるんだ。

ほら列車が来るよ。

 

 

夏休みもあと僅か。

日焼けしたおにいちゃんと後を追いかけるおとうと。

 

 

夏休みがずうっーと続けばいいのに。

 

 

兄貴元気か。

 

 

2009年8月25日  五日町~六日町。