乗り継いだ先、青梅駅にはクモハ40が待っていた。
無骨で正義を貫く父親、そして何よりも昭和の気概を持ち戦後を生き抜いたあの人。
8月15日は父親の命日。
戦争が激しくなる頃、新潟から東京は大森へ丁稚奉公に出た。
あの京浜空襲の中、大八車を牽き奉公先の機械を運び出した。
グラマンのパイロットは機銃掃射を浴びせ、ドブ板に倒れこんだ彼のすぐ脇、
銃弾を機械に貫通させ飛び去った。
ドブから這い上がった彼の顔は、汚れていたのではない。
たぶん生きていることに顔を歪め何かしら笑っていたのだろう。
生きるか死ぬか。自らの意思において決定できない時代が身近にあった。
無骨な茶色の電車を見て8月のあの日を思い出した。
1977年3月 青梅駅。