489系あさま。
181系の後を引き継ぎ、横軽協調対策の489系。
ボンネットの艶が誇らしげだ。
あさまの文字も懐かしい。
1976年7月 大宮駅。
489系あさま。
181系の後を引き継ぎ、横軽協調対策の489系。
ボンネットの艶が誇らしげだ。
あさまの文字も懐かしい。
1976年7月 大宮駅。
朝霧の中、宮浜AM定番ポイントをゴナナが行く。
402レ津軽1号。7月と言えどこの時間は結構涼しい。
霧が出ると、服もカメラも濡れる。三脚上のカメラにはタオルを被せておかないと
水滴が着くくらいだ。
1976年7月 東大宮~蓮田。
大成橋。 国道17号線が跨ぐその下を高崎線と川越線が通る。
自宅から宮浜へ行く中間ぐらいにあたる。
ここら辺も良く通った。
引込み線と川越線があり割合撮影がしやすかったのを憶えている。
列車はゴハチが牽く14系臨時列車か。
汽笛カバー、ヒサシ、スノープロウ・・・。上越装備だ。
プロウの有るゴハチは精悍だ。見慣れたカマ、いや最初の思い込みか。
1976年7月 大宮~宮原。
上越線に昼間の貨物スジが復活した。
久しぶりにダイヤグラムなんか手に入れ早速撮影。
いつ来ても良いところだなぁ。
みんないなくなったけど、あの頃の自分が此処にいる。
そういえば保線小屋が無くなって久しいな。
鉄復活か!。
2009年3月24日 越後中里~岩原スキー場前。
大宮駅のゴナナ。
最初は荷48レ次は125レ。
宮浜へ行かないときは大宮駅での駅撮り。
馬鹿の一つ覚えのように通っていた。
新幹線はもちろん無く。在来線の黄金時代。ホームも懐かしい。
しかし他の写真をあまり撮ってないなぁ。
35mm36枚の中でゴナナが7~8割なんていうのも珍しくなかった。
1976年6月 大宮駅。
1976年7月 大宮駅。
曇り空の下、尾山台カーブを抜け宮浜橋梁に差し掛かるゴナナ。
車体を左右にゆさゆさと揺らし、カントではフランジを鳴らしながら、パンタを突き上げ
猛然と迫ってくる。2C+C2の刻むあのリズムが近づき、風となって去ってゆく。
1976年6月 東大宮~蓮田。
パンタがつぶれる。
ゴナナが窮屈そう。
ケツも微妙に切れているし。
しかし、足回りはなんともメカニック。
この写真それだけか・・・。
1976年5月 大宮駅。
こんなものが出て来ました。
ゴハチの122番が牽くオールグリーン6連。
ゴハチのカットは少ないのですが、たまーには撮ってました。
この後ゴハチが人気になり、61番等ブームになるとは思ってもいませんでした。
言うまでも無く、その後暫くはゴハチへカメラを向けることにはなるのですが
ゴナナを追いやった憎き奴というイメージが・・・。
時代は繰り返す。後悔先に立たず。
撮っておいて良かった、なんてね。
1976年5月 東大宮~蓮田。
PMポイントを行くゴナナ。
ここはケーブルが走るのだが、撮影していてあまり気にならなかった。
バックには大きな立看板があり、ちょうどゴナナの影に。
構図次第では何とかなるもの。
それより、前回のカットなどもそうだが、シャッタータイミング、つまりポール処理に
もう少し気を使っていれば・・・。
この頃すでにかなりのカット数があるのだが、どれもイマイチのものが多い。
露出を含め、現像状態、構図と、お見せできないものがたくさんある。
なにせファインダーの中にゴナナが入ってくるとドキドキして・・・。
1976年5月 東大宮~蓮田。
土曜日の授業が終わると、学校からそのまま自転車で宮浜へ。
もちろん学生服で、カメラバック、三脚、そして肩掛けの学生カバンを積んで。
宮原から来る情報通の彼、地元のサンダル履きの彼、同じく地元のKIYOSHI、上福岡からダックスや自転車で来ていた人たち等々。
また、兄貴の所属していたゴナナ狂会の面々とも一緒になったりしていた。
だんだんと顔見知りになり、いつもわいわいやっていた。
歳がその中でも下のほうだったので、色々と教わることも多く充実した毎日だった。
日曜は、そんな仲間が揃うと、「ロワールのパン」。
123レの撮影が終わると、尾山台団地の中にあるパン屋へ。大概、自分とかKIYOSHIといった
年下の尚且つ自転車組みが買いに行くことが多かった。
カレーパン。おいしかったなぁ!。
おしゃべりが過ぎると122レがもう間もなく、何てこともあった・・・(荷41レは基本的に
ゴハチ運用だから撮らない)。
今しばらく宮浜通いは続きます。
(ゴハチやボンネットが出てこないのはご愛嬌、だってフィルムがもったいない・・・
こちとら中学2年生、有り余るお金なんかある訳も無く)。
1976年5月 東大宮~蓮田。