兄 「茶色いかっこいい機関車がいるんだ」
弟 「どこに」
兄 「東北線のEF57って言うんだ」
弟 「へぇー」
兄 「来週、蓮田っていう所に撮影にいくぞお前も行くか」
弟 「うん・・・」。
このときから自分の写真の世界が始まったといっても過言ではない。
午前中、家から10キロほどのところにある宮浜川へ。正確には、見沼代用水東べり。
大宮市近郊には河川が河川を跨ぐ珍しい構造の場所が何ヶ所があり、そのひとつ綾瀬川が
宮浜川を跨ぐ。まさに此処東大宮駅と蓮田駅のあいだにそれはあるのだ。
今でこそ、東大宮~蓮田間とのことを「ヒガハス」などと呼ばれているようだが、当時「ミヤハマ」と言うのが、一般名称だった。現に東北線が跨ぐ宮浜川の河川道路はには「宮浜川踏切」と明記されていたのだから。
上りの列車を待っていると一本の列車が来て初めてゴナナを撮った。
程なくすると、トラックで来ている年配のおじさんが、
「午後にゴナナの重連が来る」
「これから元荒川の鉄橋に行くんだが、自転車を後ろに乗せてあげるから一緒に行くかい」
「え・えぇ・・はい・・・」。
兄と自分はトラックの荷台に自転車を載せてもらい、此処元荒川の鉄橋にやってきた。
先台車と動輪の刻むスピード感あるステップを刻み確かにゴナナの重連は来た。
はみ出したかぁ・・・。
そのあと幾本かの列車を撮り、今度は14キロほどの道のりを兄と二人、家路に向かい自転車を漕いだ。
はたして現像から上がったネガにはしっかりとゴナナの重連は写っていた。
「かっこいい」「かっこいい」「かっこいい・・・・・」。
小学校6年生。もうすぐ中学に上がろうとする冬の出来事だった。
1975年1月宮浜川。(東大宮~蓮田)
元荒川。(蓮田~白岡)